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「人口減少日本社会」わずか50年で半減か?
第1次ベビーブームの1949年の出生数は269万人で、合計特殊出生率は4.32と過去最高であった。
しかし働き手である生産年齢人口(15~64歳)の比率について2000年を100とすると、2050年には50と予測される。同じ推計で先進国はこの間横ばいなのに、低下傾向になるのは日本だけである。
生産年齢人口(働き手)を子供と高齢者の合計で割った比率が2以上を「人口ボーナス期」、すなわち働き手が多い時期と評価すると、これを2002年に割った最初の国が日本である。
厚労省が2019年末に発表した人口動態統計では、日本人の国内出生数は、予想以上の減少である86.4万人となった。出生数が死亡数を下回る人口の「自然減」も51.2万人となった。さらに、今後高齢者の平均寿命は飛躍的に伸びると予想されている。
■人口爆発後「ジェットコースターを下るように」減少
日・中・インド・アフリカ大陸の人口ピラミッドの2050年の将来予測では、中国・インドは釣り鐘型となる。したがって、現状は問題ないが将来は必ずしも楽観できない。戦後の日本のピラミッド型と同じように、アフリカ大陸は、将来の働き手が増える明るい未来が予想される。一方、日本は末広がりならぬ末細り型に突入しており、現時点で、既に深刻な事態を迎えている。
[図表]に過去から将来の長期的な日本の人口推移を示す。日本の人口は、奈良・鎌倉・室町時代は700~1000万程度で推移してきた。江戸時代前半(約3倍増)と明治維新後(約4倍増)の2度にわたり、人口爆発が起き、江戸時代はほぼ3000万、100年前の明治の後半から5000万人に達し、2004年に1億2784万人でピークに達した。
このまま移民政策などを採用しなければ、100年後は5千万人に舞い戻るのはほぼ確実である。今、ジェットコースターに例えれば、その高見を通過中であり、これからまさに急降下するときである。
2050年まで1億の人口を保つためには、累計で1714万人(年間平均34万人)、生産年齢人口(15~64歳)を維持するシナリオでは累計3233万人(年間平均65万人)もの移民が計算上必要となる。どうみても実現可能な施策ではない。
日本政府も決してこの現象を見逃していたわけではない。各省もそれぞれ対策をとってきた。1990年の「出生率1.57ショック」を受け、1994年に策定された子育て支援のエンゼルプランなどがそれである。
「人口減の受け入れが、日本の選択肢となろう。」
しかし、2005年には出生率が1.26と過去最低となってしまった。お決まりの反省だが、国としての危機感と、それに対応する強力な実行力が伴ってなかったのである。
一方、先進国のスウェーデンでは出生率が1980年代に1.6人台にまで低下し、社会問題となった。政府は「エッと驚く」ような各種対策を国策として進めた。例えば、強力な財政支出、婚外子(結婚していないカップルの間に誕生した子供)に嫡出子と法的同等の立場を与える法制度改正などである。その結果、1990年代前半にスウェーデンの出生率は2人を超え、先進国で最高水準となった。
ものづくり産業の将来を考える上で、人口減少問題は決定的に深刻である。人口が半減することは単純に言えば、ものづくり産業数は半分以下、生産量も半分以下でよいことを意味する。
2060年に日本の人口は8000万人、2100年に5000万人となる。それでは移民はどうか? これは、永年の歴史から、日本人にとって心情的・政治的・警備的な面から受け入れ難く、精神的・物理的コストが大きすぎる。人口減の受け入れが、日本の選択肢となろう。
男性の平均寿命は81.41歳、女性の平均寿命は87.45歳(2020年)であるが、最頻死亡年齢(最も死ぬ人の多い年齢)は男性88歳、女性92歳となっている。つまり、日本では男女問わず、少なくとも80歳近くまで元気な人が多いと見て取れる。
一方、最も経験値を積んだ熟練労働者の定年は65歳で、退場させられている。健康寿命を延ばすためには働くことが一番、日本がやるべき政策は定年を廃止することだ。定年の無い欧米に、寝たきり老人は少ないという。生産年齢人口(15~64歳)の64歳は80歳に変更してもおかしくない。
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浅川 基男
1943年9月 東京生まれ
1962年3月 都立小石川高校卒業
1968年3月 早稲田大学理工学研究科機械工学専攻修了
1968年4月 住友金属工業株式会社入社
1980年5月 工学博士
1981年5月 大河内記念技術賞
1996年4月 早稲田大学理工学部機械工学科教授
2000年4月 慶應義塾大学機械工学科非常勤講師
2002年4月 米国リーハイ大学・独アーヘン工科大学訪問研究員
2003年5月 日本塑性加工学会 フェロー
2004年5月 日本機械学会 フェロー
2014年3月 早稲田大学退職、名誉教授
著書:基礎機械材料(コロナ社)ほか