(※写真はイメージです/PIXTA)

2度の造血幹細胞移植を経て、2019年春に復職を果たした私立学校の理科教員、向井健一郎氏。本記事では発症時の実体験を紹介していきます。

3日間の検査の結果、医師から告げられた病名は…

翌29日の午前中にもう一度血液検査と骨髄液検査を行って、午後に病名が判明しました。血液内科の医師から、「お話がありますので相談室に来てください」と言われて、私の妻と二人で相談室に行くと、そこには血液内科の主治医と担当医・看護師の3名がいて、私の病名と今後の治療方針についての説明がありました。

 

「病名は、急性リンパ性白血病です」と淡々と、しかし丁寧に話をされました。

 

「えっ!」病名を聞いたとき、妻は小さな声で驚いて、私の手をぎゅっと握りました。私も心のなかで「え~~っ!」と驚くとともに、これまでの3日間のいろいろな検査を見ていて「やっぱり、そうだったか」と少し納得したところもありました。

 

治療方針の説明では、抗がん剤治療が3~5回くらい必要なこと、最終的には造血幹細胞移植(いわゆる骨髄移植)が必要なこと、そして退院しても再発の危険があり、一生この病気と付き合っていかねばならないことなどが説明されました。

なんで、あなたが白血病にならなくてはいけないの?

最後に、「何か聞きたいことはありませんか?」と尋ねられたので、私は、「最高に治療がうまくいったとして、最短でいつごろ職場に復帰できますか?」と質問しました。

 

「治療の結果、どうなるかは患者によって全然違うので断定的なことは何も言えないが、1年半から3年かかる人もいる。早くても1年半くらいではないかと思う」と医師はおっしゃっていました。

 

「絶対に1年半で復帰する」私は心のなかで呟きました。

 

医師による説明が終わって、妻と二人で自分の病室に戻りました。

 

「なんで、あなたが白血病にならなくてはいけないの?」今まで緊張と我慢で抑えていた妻の感情が崩れて私に聞きました。「そんなこと、僕にだってわからないよ。原因については不明なことが多いとお医者さんも言ってたじゃないか」その後、ベッドに横たわった自分と横にいる妻と二人で泣きました。

 

本当に人生はいつ何があるかわかりません。「急性リンパ性白血病」は約10万人に1名の確率で発症するようです。でもなぜ、私がこの確率で当たってしまったのでしょうか。宝くじも当たったことがないのに……。違うとはわかっていても、原子力発電所の近くに見学に行ったのが悪いのか、仕事で疲れすぎたのが悪いのか、ほかの人に意地悪したのだろうか、いろいろなことを考えてしまいます。

 

しかし、しばらくして、「先生がおっしゃっていたように、復帰する希望があるのだから頑張ろうね!」と妻が言ったので、「絶対に最短時間で復帰するから!」と私は妻と自分に宣言しました。

 

病名が判明した翌日の7月30日から、抗がん剤の投薬治療が始まりました。

 

私はその前の日の夜から、スマホで「白血病」や「急性リンパ性白血病」についていろいろと調べました。ネットの情報によると「白血病は見つけにくい病気であり、初診から3日目で病名を確定できたのは早いほう」だそうで、早期発見と早期の治療開始ができたのは不幸中の幸いらしいということもわかりました。ほかの人のブログを見ると、いくつもの病院を「たらい回し」のように回ったという話がありました。

 

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本記事は幻冬舎ゴールドライフオンラインの連載の書籍『ボクは、笑顔でできている~多くの人に支えられて、白血病と闘うことができました~』(幻冬舎MC)より一部を抜粋したものです。最新の法令等には対応していない場合がございますので、あらかじめご了承ください。

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