親として当たり前の怒り
そんな入院生活のさなか、ちょっとした事件が起こります。娘さんは、朝、採血するのが日課となっていたのですが、ある日、担当看護師がミスをしてしまい、採血のやり直しになったのです。
「毎朝、採血をしなくてはならない。それはよくわかっています。が、ミスをされて全部やり直しになったと告げられたとき、私は怒ってしまったんです。娘に負担をかけないようにしてほしいのに! って。怒ってもどうにもならないのに。ミスは誰にでもあるはずなのに……」
そんなあかりさんのところに主治医が回診にやってきました。
そこで「ミスされて怒ったんだって?」と聞かれて、あかりさんはうつむいてしまいました。
感情的になって、情けなくて、ほんとうに申し訳ない。そんな気持ちを話したところ、
「あなた、若いときからそんな考え方してるんだろうけど、しんどくない?」
と、思ってもみない言葉をかけられました。
あかりさんは、思わず自分のこれまでのことを主治医に話しました。すると……。
「それはものすごく辛かったと思うよ。それで自分を律することが身についちゃったんだね。でもさ、今回怒ったのって娘さんのためなんだよね。親として、当たり前の怒りだよ。それをさ、抑えきれなかったからって落ち込んじゃうのは、ちょっと母親の生き方として不自然なんじゃない? もっと自分の感情と仲良くなってもいいと思うよ」
そう言われて思わず泣いてしまったあかりさん。
「すみません」と謝ると、主治医はさらに続けたのです。
「あなた、娘さんの症状を『ただごとじゃない』って思ってここに連れてきただけでエラいわけ。それで短期間でたくさんの決断をしただけでもしんどいわけ。ここは大人が寝るにはベッドは硬いし、食べるものだって冷たいお弁当ばかりでしょ。それでストレス溜めないほうがおかしい。あなたはものすごく、我慢強いんだよ」
本当は我慢でいっぱいだった
その日、ナースステーションに娘さんを預けて、外に食事に出ることにしたあかりさん。温かい食事を食べながら、あることに気づいたのです。
「自分に我慢が足りないから、朝、ちょっとしたことで攻撃的になってしまったんだ、と自分を責めていたんですが、もうすでに我慢でいっぱいだったことに気がつきました。
思えばずっと我慢ばかりしてきたような気がします。もう少し、自分の感情と向き合えるようにならないと、と思いました。楽しいことや嬉しいことはともかく、悲しいことも苦しいことも、自分で処理するだけではなく、誰かに話してときに泣いてもいいと思えるようになったんです」
やかて、数値も落ち着いたことで娘さんは退院。そして、フォローアップのためにしばらく病院に通っていたのですが、小児科医の退職にともない、小児科が閉鎖。主治医とも離ればなれになってしまったといいます。
「今年、ようやく娘の心臓検診に一区切りがつき、この出来事を誰かに話せるまでになりました。今、娘は明るく楽しく高校生活を送っていますが、先生方が適切に医療を提供してくれたおかげと感謝しています。そして、私自身も心の傷と正しく向き合えるようになり、喜怒哀楽そのものを楽しめるようになりました」
そう言ったあかりさんは、心のそこから嬉しい、というような微笑みを、こちらに向けてくれました。