「本当は我慢でいっぱいだった」と話す飯田あかり(仮名)さん

今から15年前。完全ワンオペ育児であることを覚悟して、妊娠・出産に踏み切った飯田あかり(仮名)さん。出産後、子どものことだけを考えて育児に取り組んできたあかりさんでしたが、娘さんを突然、ある病魔が襲います。そして、娘さんの治療のさなか、あかりさんは娘の主治医のある指摘によって、救われることになったのです。

娘の病名は…

その病院は、4歳までの子どもの入院の際に、原則として親が24時間付き添うルールとなっていたといいます。

 

「入院してすぐに、髄膜炎の可能性が高いと、髄液検査を行いました。その結果、髄膜炎は否定されましたが、その翌日もそのまた翌日もずっと検査に次ぐ検査でした」

 

そして、医師によるひとつの可能性が示されたといいます。

 

「川崎病と考えて間違いないでしょう」

 

川崎病は、3歳未満の子どもに多くかかる病気といわれていますが、先に挙げた症状がまさしく川崎病の特徴的なものだったのだそう。

 

そして、この時点で主治医が交代。より専門的な知識を持つ、50代前半の小児科部長が担当することになったのです。

辛かった過去と小児科部長の言葉

「まず免疫グロブリン製剤を静脈から注入することになりました。川崎病は全身の皮膚や粘膜に著しい炎症が起こる病気なのですが、いちばん厄介なのは、そのときに冠動脈にコブができてしまうことなのです。それを防ぐためにも、全身の炎症はいち早く抑える必要があると説明を受けました」

 

免疫グロブリンは効果を発揮し、娘さんの全身の炎症は見た目には抑えられました。その翌日、主治医が回診に来たとき、あかりさんに思いがけない質問をしたというのです。

 

「あなたってさ、なんでこんな時なのにものすごく冷静なの? あのね、他の人はこういうときに、もっと動揺したり取り乱したりちゃうものなんだよ。自分の子どもに血液製剤を投与するってさ、例え医師免許持っていたとしてもかなり大きな決断を伴うわけ。なのに、あなたはものすごく淡々と受け止めようとしてる」

 

その時、胸に迫るものを感じた、というあかりさん。

 

彼女のその冷静さにはある理由がありました。

 

「私が15歳の時、母が難病のため命を落としました。その後、父は入籍こそしなかったものの、とある女性と一緒に暮らし続けているのですが、その女性と私は折り合いが悪く、さらに私自身が看病疲れからうつ病にかかってしまったことで、再び親子で一緒に暮らすことがかないませんでした。感情に溺れたから、家族を遠ざけてしまう結果になったと考え、それ以来、負の感情は自分自身でなるべく手懐けるようにし、対外的には努めて冷静に対処しようと心がけることにしたんです」

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