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他人と比べる思考が薄れていった「母の口癖」
1つ目に挙げた「他人と比べない」という思考を、私は母から学びました。学んだというより、刷り込まれたといったほうが正確かもしれません。事あるごとに、母に「よそはよそ、うちはうち」と言われて育ったため、その繰り返しによって人と比較する思考が薄れていったのです。
私の家が貧乏であることは幼い頃から分かっていました。ただ、そうはいっても子どもです。2Kの風呂なしの団地だったので、銭湯通いが日課でしたが、そこで友達がコーヒー牛乳を飲んでいれば、自分も飲みたいと思います。しかし「よそはよそ、うちはうち」です。
「オカン、俺もコーヒー牛乳飲みたい。買(こ)うて」
風呂上がりに母親に頼みますが、答えは決まって「アカン」です。
「家に帰ったら麦茶があるやろ」
と一喝されます。
友達が「新しいおもちゃを買ってもらった」と自慢すれば、自分も欲しいと思います。
「オカン、みんなこのおもちゃもってんねん」
そう言っておねだりすると、答えはもちろん「アカン」です。
「みんな、とちゃうやろ」と言います。
「みんな」がもっているわけではない。もっていない人もいる。だから、買わない。この理屈でピシャリ、です。
そう言われてしまうと、私はそれ以上何も言えません。確かに、みんながもっているわけではなく、クラスの何人かがもっているだけで、もっていないのは私だけではないからです。
こういうやりとりを日常的に繰り返していくと、あらゆる事柄において、友達と自分を比べることが少なくなっていきます。誰かを羨ましく思う気持ちや自分の境遇を恨む気持ちは、誰かと自分を比べることから生まれます。それがなくなっていくことで、やっかみが消え、妬む気持ちが消え、自分の不遇を恨むこともなくなっていったのです。これは今思えば、笑うチカラの下地づくりでした。
人は2つの感情を同時にもつことができません。笑って楽しい気分になるためには、まずは妬んだり卑屈になったりする気持ちと、そのようなネガティブな気持ちを生み出す、人と比較してしまう思考を変える必要があります。
私は、母からの日常的な「よそはよそ、うちはうち」の刷り込みにより、友達を羨んだり、自分の境遇を卑屈に感じることがなくなりました。結果、楽しいことを「楽しい」と感じたときに、素直に笑えるようになったというわけです。
また「よそはよそ、うちはうち」という刷り込みは、突き詰めていえば、自分のことに集中しなさいという教えだったとも思います。その教えがやがて、人と比べることなんてせずに、「歯医者になる」という自分の目標を大切にして、自分のことだけに集中して取り組んでいくことにもつながっていきました。
安積 中
あづみハッピー歯科医院院長
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