海外のパートナーとともに米国で販売開始、売上は…?
来日後、その頃、神戸にあったオニツカ本社を訪れたフィル・ナイト氏は、重役たちを前に同社のスポーツシューズを自分にアメリカで売らせてほしいと交渉します。そのときの様子を、彼は著書のなかで次のように描写しています。
「『みなさん、アメリカの靴市場は巨大です。まだ手つかずでもあります。もし御社が参入して、タイガーを店頭に置き、アメリカのアスリートがみな履いているアディダスより値段を下げれば、ものすごい利益を生む可能性があります』
私はスタンフォード時代のプレゼンテーションをそっくり引用した。数週間かけて調査し覚えた一言一句、数字までそのまま使った。おかげで、雄弁に語ることができた。重役たちは感心して聞いていたようだ。話し終わる頃には静まり返っていた。1人が沈黙を破り、さらにまた1人と全員が大声で興奮した様子で話し出した」
こうして、同社のスポーツシューズの販売権を獲得したフィル・ナイト氏は、「ブルーリボンスポーツ社」(ナイキの前身)を立ち上げアメリカでの販売を開始しました。
フィル・ナイト氏はさまざまな陸上競技会にシューズを持って向かい、レースの合間にコーチやランナー、ファンらと談笑しながら売り込みました。また、シューズの評判を聞いて、「ぜひ履いてみたいから着払いで至急送ってくれ」という人や、フィル・ナイト氏の家を訪ねて購入する人もいました。
1964年7月4日に最初の在庫は完売し、その後も売上はとんとん拍子で伸び続けました。具体的に示すと、1968年の売上は15万ドルで、翌年はその倍近くになったのです。
現地を知り尽くすパートナーと手を結ぶ最大の利点
フィル・ナイトという海外パートナーを得たオニツカは、このようにアメリカ市場を開拓することにより、日本国内のみでビジネス展開していたとき以上の売上と利益を得ることに成功しました。
もし仮にオニツカが単独でアメリカ市場への進出を行っていたとしたら、果たしてこうした成功を実現できたかどうかは分かりません。
というのは、フィル・ナイト氏はアメリカで同社の製品を販売する際に、そっくりそのままではなく、大学時代のコーチであり、ビジネス仲間の一人でもあったビル・バウワーマン氏とともにアメリカ人向けの改変を加えていたからです。
足の大きさ一つとっても日本人とアメリカ人とでは異なります。そうしたさまざまな違いを修正してランナーにとってより理想的なシューズを作り上げたのです。
こうした細かな工夫を行っていたからこそ、オニツカのスポーツシューズはアメリカでも広く受け入れられていったのです。そしてそれを行うことができたのは、フィル・ナイト氏がアメリカ人であり、しかも自身もまたアスリートだったからにほかなりません。
このオニツカのケースは、日本国内で売上が思うように伸びずに苦しんでいる企業にとって一つの参考になるはずです。
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