2―応召義務とは
まず、応召義務の現行法への導入経緯から、みていくこととしたい。
1.応召義務は、医師が患者に対して直接民事上負担する責任ではない
1948年施行の医師法は、第19条第1項で、「診療に従事する医師は、診察治療の求があつた場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない」としている。
これが、いわゆる医師の応召義務である。ここで、医師法は公法、すなわち医師の国に対する権利・義務※を定めた法律である。したがって、応召義務は、公法上の義務ということになる。医師法には応召義務違反に関する刑事罰は規定されておらず、あくまで訓示規定的なものとされている。
※ 医師の意思にかかわりなく、国家権力がその履行を担保するという意味で、義務とされる。
実際、これまでに、行政処分の実例は確認されていない。このように、応召義務は、公法上の義務であって、私法上の義務ではないため、医師が患者に対して直接民事上負担する責任ではない。
なお、医師が勤務医として医療機関に勤務する場合、応召義務を負うのは、個人としての医師であるが、医療機関としても、患者からの診療の求めに応じて、必要にして十分な治療を与えることが求められ、正当な理由なく診療を拒んではならないとされている※。
※ 昭和24年9月10日医発第752号厚生省医務局長通知、および、令和元年12月25日医政発1225第4号厚生労働省医政局長通知より。
2.応召義務の規定は、140年前にさかのぼる
応召義務の歴史は古く、140年前に制定された旧刑法※にまでさかのぼる。1880年(明治13年)制定の旧刑法は、第427条第9号で、「醫師隱婆(助産師のこと)事故ナクシテ急病人ノ招キニ應セサル者」は、「一日以上三日以下ノ拘留ニ處シ又ハ二十錢以上一圓二十五錢以下ノ科料ニ處ス」としている。
※ 旧刑法は、フランス刑法を基本に、ドイツなどの大陸法を参照して起草されたという。なお、現行刑法は、1908年(明治41年)に施行された。
その後、応召義務の規定は、1908年(明治41年)制定の警察犯処罰令、1919年(大正8年)制定の旧医師法施行規則を経て、1942年(昭和17年)制定の国民医療法に引き継がれる※。
※ 「医師の応招義務」畔柳達雄(医の倫理の基礎知識、各論的事項No.30)より。
同法は、第9条第1項で、「診療ニ從事スル醫師又は齒科醫師ハ診察治療ノ需アル場合ニ於テ正當ノ事由ナクシテ之を拒ムコトヲ得ズ」としており、第76条で、違反した者は「五百圓以下ノ罰金又は科料ニ處ス」としている。このように、戦前は、応召義務に罰則が設けられていた。
戦後、この規定は、1948年制定の現行医師法に引き継がれた。その際、応召義務の削除が検討されたが、医師職務の公共性から残しておくべきとの意見が強く、現在の形で残されたという。ただし、罰則規定は削除された。
3.拒否に伴う損害賠償責任の過失認定に応召義務の概念が援用されることもある
第1節で、応召義務は、医師が患者に対して直接民事上負担する責任ではないと述べた。しかし、1950年に、厚生省は、次のとおり、照会への回答を行っている※。
※ 厚生省医務局医務課長回答(昭和30年8月12日医収第755号)
「医師が第19条の義務違反を行った場合には罰則の適用はないが、医師法第7条にいう『医師としての品位を損するような行為のあったとき』にあたるから、義務違反を反覆するが如き場合において同条の規定により医師免許の取消又は停止を命ずる場合もありうる。」
すなわち、義務違反の反復がある場合、医師免許の取消又は停止もありうる、とされている。また、不合理な診療拒否は、患者に対する私法上の損害賠償責任を発生させることもありうる。
実際に、損害賠償請求訴訟の過程で、過失の認定にあたり、医師法の応召義務の概念が援用されるケースが多くみられている。
4.「正当な事由」の考え方がポイント
応召義務の適用にあたっては、診療の拒否が「正当な事由」によるかどうか、がポイントとなることが多い。何が正当な事由に該当するかについて、これまでに厚生省から、通知や照会への回答の形で、いくつかの見解が示されてきた[図表1]。
また、地裁や高裁等では、応召義務の有無をめぐる多くの裁判を通じて、正当な事由について、判例が蓄積されてきた。