いつまで続くのか分からず、「出口の見えないトンネルのなかにいるよう」とも言われる不妊治療。女医の山下真理子氏も、そんな不妊治療で子供を授かったひとりだという。どのような問題に直面し、どう向き合ってきたのか、医師の立場から語ってもらう本連載。第5回目は、不妊治療によって変わった自身の考え方について語ってもらった。

先の見えない治療に心も身体もボロボロに…

不妊治療の大変さは、経験している人にしかわからない。おそらく、読者の中にも、不妊治療経験者は大勢いることだろう。

 

「自己注射が大変」「投薬で心身に不調が生じる」

 

こういったことが、不妊治療の大変さとしてよく取り上げられがちだが、もちろん、大変であることには間違いないが、それ以上に大変なことは、「終わりが見えないこと」。

 

幸いなことに、私は体外受精で、息子を授かった。

 

けれども、無事に体外受精が成功するまでは、先の見えない治療に、心も体もボロボロになった。

 

妊娠した友人を、心から喜べなかった。

 

出産報告をSNSで目にするのが辛かった。

 

先に不妊治療を「卒業」した人を見て、攻撃的な気持ちになった。

 

「子供はこういうタイミングで」と語っている友人や後輩が歯痒かった。

 

受診のたびに、安くはない費用を払いながらも、そのために何度も仕事をキャンセルしたり休んだりしなければならなかった。辞職も考えた。

養子という選択肢

特別養子縁組は、決して「不妊治療の代替」ではないし、不妊治療を経ずに特別養子縁組にたどり着く夫婦もたくさん知っている。

 

けれども、不妊治療を長く続けて、自分が納得するのならそれで良いけれど、辛く苦しい想いばかりが募って、夫婦関係もギクシャクしたり、常に攻撃的な気持ちになったりするのならば、批判があることは承知の上で、そう言った、「養子」と言う選択肢を考えてもいいのかな、と思う。

あの時よりはずっといい

不妊治療を「卒業」できたときは、喜びしかなかった。

 

けれど、不妊治療が終わると言うことは、(特殊な事情を除き)約9ヶ月後に出産し、その先に、「夫婦でゆっくり過ごす水入らずの時間」や、「自分の時間」は、格段に減る。

 

ファッションも髪型もバッグも靴も、「子供ありき」で選ぶようになる。

 

20代の頃の私なら、「そんなの絶対に嫌だ」と話したに違いない。

 

けれども、今は、そんな「自分のことは後回し」な毎日を、本当に心から楽しめるようになった自分がいる。

 

私のところに「命」がきてくれたこと、そして、子育てを経験できていることだけで、感謝だからだ。

 

どんなに辛いことも、「あの時よりはずっといい。今が幸せ」と思えるようになった。

 

そう言った意味で、不妊治療の経験は、私にとっては財産だと今は思っている。

 

二人目を養子を迎えるか、それともまた採卵から始めて不妊治療を開始するかは正直迷っている。

 

息子に弟か妹を作ってあげて、兄弟の良さや母親父親とは違う意味での家族の存在、そしてその存在は、友達以上にあるときには助けられることもあることを教えてあげたい(私も夫も、妹や姉がいる)。

 

不妊治療をしたことで、いろんな考え方が変わった。

 

当たり前のことながら、生まれてくる命の奇跡を、文字通り実感させてもらえたと思っている。

 

「子供を持つ」ということは、生まれてくる人間一人の人生に対して責任を負うことだと思う。

 

もちろん、子供はやがて成長して、自立して、親の元から巣立っていく。

 

私自身、もう親元を離れて暮らすようになって18年目。親と一緒に生活を共にしない生活はもう人生の半分以上になる。

 

次ページ単に「子育てを経験してみたい」では済まされない

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