(※画像はイメージです/PIXTA)

夫婦であっても、どちらかに死期が迫っているときにどう反応するかは、千差万別です。今回は、休職して肺がん末期の夫を介護する妻の事例を紹介します。本連載は中村明澄著『「在宅死」という選択』(大和書房)より一部を抜粋し、再編集した原稿です。

妻は「仕事なんて休めるよ。大丈夫だよ」

一方、奥さまはというと、まだ死期が近づいているという事実を信じきれていない様子でした。「最初の頃、あと数か月と言ってたから、もうその時期かもしれないけど、動けなくなってきたとはいえ、口はまだまだ達者だし、まだ大丈夫でしょ?」。そうおっしゃったのです。

 

そこで、私が「いえ、その時期に来ていると思います。あと1か月はないと思います。トイレに行けるのもあと数日かもしれません」と伝えると、奥さまは一変。

 

「ほんとにそうだったんだ。それなら仕事を休んで最期まで付き合います」と即答されました。その切り替えの速さに、思わず圧倒されるほどでした。

 

「だって、あなた、ずっと家がいいって言ってたもんね。わかった。そうしよう」

 

そう言って即座に状況を受け入れ、G郎さんの希望も受け入れたのです。

 

このご夫婦がすごいなと思ったのは、「もうすぐ死ぬんだね」ということを、互いに自然に口に出して話し合えるところでした。いくら身近で親しい関係であっても、死にはできるだけ触れずに、隠そうとする方も少なくありません。でもおふたりはざっくばらんに「死」についてもお話しできる関係性でした。

 

奥さまが「もうそんなに長くないんだから、仕事なんて休めるよ。大丈夫だよ」と切り出してくれたおかげで、G郎さんも「じゃあ、お願いしようかな」と思えたようでした。

 

こうしてお互いが自分の思いを相手にちゃんと伝えることができたとき、必ずといっていいほど、納得のできるいい最期を迎えることができます。つらい事実を伏せておいたり、傷つけないように隠しつづけると、結局のところ、最終的に不和が生じることがあります。

 

奥さまはさっそく介護休業を申請し、仕事を休んで介護に専念しました。それから2週間ほどして、G郎さんは自宅で静かに息を引き取りました。

 

亡くなったあとに奥さまが話してくださったのですが、G郎さんは実はものすごく人見知りで、訪問診療をつづけられたこと自体が奇跡だったそうです。

 

信頼していた病院の医師が勧めてくれたからという理由が大きいでしょうが、ご本人も納得して必要としてもらえていたことに、ほっとしました。

 

病院の医師のひと言というのは、患者さんにとって良くも悪くも大きい影響があります。今回、病院主治医がしっかり在宅医療を勧めてくれたこと、そして患者さんご自身に家で看取られたいという気持ちがあったこと。また、奥さまが現実を理解して受け入れてくれたこと―関わる人の気持ちの伝達がスムーズにいくと、最期の時間はやっぱり充実したものになる。私はそう確信しました。

 

中村 明澄
在宅医療専門医
家庭医療専門医
緩和医療認定医

 

 

「在宅死」という選択~納得できる最期のために

「在宅死」という選択~納得できる最期のために

中村 明澄

大和書房

コロナ禍を経て、人と人とのつながり方や死生観について、あらためて考えを巡らせている方も多いでしょう。 実際、病院では面会がほとんどできないため、自宅療養を希望する人が増えているという。 本書は、在宅医が終末期の…

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