旅券や新紙幣にも採用された北斎の仕事
北斎の創作欲は人並外れていて、生涯に約3万点の作品を残したと言われています。絵師としての地位を決定づけたと評される『冨嶽三十六景』に描かれた『神奈川沖浪裏』や『凱風快晴(通称、赤富士)』は誰もが一度は目にしたことがあるはずです。
特に波のうねりと富士山を大胆な遠近法で描いた『神奈川沖浪裏』は2020年発給の旅券の査証ページや2024年発行の新千円札の裏面などに採用。海外でも『THE GREAT WAVE』の名で親しまれています。
世界に通用する芸術家として夥(おびただ)しい作品を世に問う旺盛な創作活動は卒寿まで生きながらえることができたからに他なりません。では、長寿を保つために、北斎はどのような策を講じたのでしょうか。
実は、北斎の長寿には多くの研究者が関心を寄せており、これまでにも、さまざまな説が唱えられているのです。それらが理に適(かな)っているかどうか、国立研究開発法人国立長寿医療研究センター病院長で、神経内科医でもある鷲見幸彦(わしみゆきひこ)医師と共に探ってみました。
遺伝的な素因も働いている可能性が
北斎の生涯を語るときの外せない拠り所とされる『葛飾北斎伝』(1893年)には柚子を用いた“特効薬”の作り方が図解入りで詳しく説明されています。実際、北斎は柚子を好んで取ったと言われていますし、それにまつわる逸話も残されています。
では北斎の長寿を支えたのは柚子だったのか、というと、事はそう単純には片付きません。柚子をはじめとする食材については後で触れるとして、まずは鷲見医師の大変に興味深い仮説に耳を傾けることにしましょう。
鷲見医師によれば、北斎の生きた江戸時代後期の平均寿命が50歳に満たないのは乳幼児死亡率の高さが尋常ではなかったから。当時は痘瘡(とうそう)や結核、コレラなどで多くの人が命を落としていました。要するに幼くして亡くなる人が多いので、平均寿命は必然的に短くなる。これが第一の仮説です。
また、北斎の家系が遺伝的に長生きだったのではないかというのが第二の仮説です。疫学的に、長生きの家系は本人ばかりでなく、親戚縁者も長命の傾向にある。従って、寿命に関わるなんらかの遺伝的素因が長寿を左右したのではないかと鷲見医師は見ています。