(※画像はイメージです/PIXTA)

私たちは「労働」と「遊び」をまったく逆の行為のように考えてしまいがちですが、この二つは本人の捉え方でどちらにでもなり得ます。今後、労働と遊びの境界はなくなっていくというが…。※本連載は山口周著『ビジネスの未来』(プレジデント社)の一部を抜粋し、編集したものです。

活躍している人ほど仕事と遊びの境界が曖昧

■遊びと労働が一体化

 

遊びと労働が一体化するコンサマトリーな経済はすでに社会の一部には顕現しています。これは前著『ニュータイプの時代』でも指摘したことですが、今日の社会において、最前線で活躍している人ほど「遊びと仕事」の境界が曖昧になっています。

 

これはもちろん「遊びがお金を生んでいる」という意味でもあるのですが、それ以上に「仕事そのものが報酬となってその場で効用として回収されている」ということでもあるのです。労働と報酬が一体化すれば、労働そのものの概念が変わることになります。おそらく、これは人類史における革命的な転換となるでしょう。

 

これまでの私たちの労働に関する認識は「辛く苦しい労働があり、その労働の対価として報酬を得る」という、まさにインストルメンタルものでした。しかし、これからやってくる高原社会では、そのような労働観は解体・廃棄され、遊びと労働が渾然一体となったコンサマトリーなものとなります。

 

最前線で活躍している人ほど「遊びと仕事」の境界が曖昧になっているという。(※写真はイメージです/PIXTA)
最前線で活躍している人ほど「遊びと仕事」の境界が曖昧になっているという。(※写真はイメージです/PIXTA)

 

私がなぜこのような提案をしているかというと、現時点ですでにこれが大きな社会課題になっていると感じているからです。1964年、ニューヨークタイムズは、当時すでに高名だったSF作家のアイザック・アシモフに50年後、つまり2014年の世界博覧会がどのようなものになるかを予測する記事を書いて欲しいと依頼しました。

 

さすがは歴史に名を残したSF作家と言うべきでしょうか、アシモフは、現在の私たちがチューリングマシン、ルンバ、自動運転車として理解している概念に近いもののほか、たとえば「酵母菌と藻類からつくられた七面鳥とステーキ」など、現在の技術水準をもってしても実現の難しいぶっ飛んだ予測まで述べていて、その先見性には唸らされます。

 

アシモフのリストは全般に、科学と技術の進歩によって便利で快適な世界がやってくる、というポジティブなトーンで通底しているのですが、ただ一点、今日の私たちにとって重大な示唆をもたらす懸念を含んでいます。それは「退屈の蔓延」です。テクノロジーによってありとあらゆる仕事が自動化され、多くの人の仕事は単に「機械の監視をするだけの単調な作業」となり、創造的な仕事に携わることができるのは、ごく一部のエリートだけになる、というのがアシモフの予測です。

 

アシモフは、この記事を次の文章で締め括っています。

 

≪私が2014年について考えうる最も陰気な予測は、余暇が強制される社会において、「仕事」という言葉がもっとも輝かしい単語となっている、ということだ!≫

アイザック・アシモフ(ニューヨークタイムズ1964年8月16日の記事)より

 

私たちの「余暇」に対する認識は、「労働」に対する認識との相対的な位置関係によって規定されています。「余暇」という言葉には実質がありません。というのも、それは単に「労働でない時間」という形でしか表現できない活動だからです。概念として中空なのです。したがって当然ながら「労働が望ましくないもの」であるとすれば、「労働でない時間」は「望ましい時間」ということになります。

 

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ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す

ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す

山口 周

プレジデント社

ビジネスはその歴史的使命をすでに終えているのではないか? 21世紀を生きる私たちの課せられた仕事は、過去のノスタルジーに引きずられて終了しつつある「経済成長」というゲームに不毛な延命・蘇生措置を施すことではない…

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