ビジネスとアートはさまざまな領域で近接している
■「Business as Art」
高原社会をより豊かで瑞々しいものにするためには、まず私たちの仕事を功利的・手段的なインストルメンタルなものから、自己充足的・自己完結的なコンサマトリーなものへと転換することが求められます。
さて、このように指摘すると、すぐにでもビジネスパーソンをやめて享楽的な人生を謳歌するアーティストになって作品を作れ、と言われているのかと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、それは誤解です。筆者は、あたかもアーティストやダンサーが、衝動に突き動かされるようにして作品制作に携わるのと同じように、私たちもまた経済活動に携わろう、ということを提案しています。
20世紀後半に活躍したドイツの現代アーティスト、ヨーゼフ・ボイスは「社会彫刻」という概念を唱え、あらゆる人々はみずからの創造性によって社会の問題を解決し、幸福の形成に寄与するアーティストである、と提唱しました。
世のなかには「アーティスト」という変わった人種と、「アーティスト以外」の普通な人種がいる、というのが一般的な認識でしょう。しかし、そのような考え方は不健全だ、とボイスは言っているのです。
この点は誤解されがちなのでここで注意を促しておきます。
現代アーティストというのは、何も気まぐれに絵具の滴をキャンバスに垂らしたり、真っ二つに割った哺乳類をホルマリンのケースに格納したりしているわけではなく、彼らは彼らなりの視点で見つけた「どうしても看過できない問題」を、彼らなりのやり方で提起し、場合によっては解決しようとしているのです。ビジネスが「社会における問題の発見と解決」にあるのだとすれば、本質的にこれはアーティストが行っていることと同じことなのです。
近年、ビジネスとアートはさまざまな領域で近接しつつあります。そもそも仕掛けたのはお前だろうというお叱りを受けそうですが、個人的には違和感を覚えることが少なくありません。というのも、この「アートとビジネスの近接」は多くの場合、「ビジネス文脈にアートを取り込む=Art in Business Context」か、またはその逆に「アート文脈にビジネスを取り込む=Business in Art Context」という議論がほとんどで、「ビジネスとアートをまったく別のモノとして捉えている」という点で共通しているのです。
このような枠組みを前提にした取り組みを続けている限り、アートはやがて、かつてもてはやされ、やがて弊履を捨てるようにして忘れ去られた数多くの経営理論やメソッドと同じように、ビジネス文脈での流行スキルの一つとして消費されて終わることになるだけだと思います。
根本的にそれは違うだろう、と思うんですね。本質的に、いま私たちに求められているのは、ビジネスそのものをアートプロジェクトとして捉えるという考え方、つまり「Business as Art」という考え方だと思います。
文明化があまねく行き渡り、すでに物質的な問題が解消された高原の社会において、新しい価値をもつことになるのは、私たちの社会を「生きるに値するものに変えていく」ということのはずです。そして、そのような営みの代表がアートであり文化創造であると考えれば、これからの高原社会におけるビジネスはすべからく、私たちの社会をより豊かなものにするために、各人がイニシアチブをとって始めたアートプロジェクトのようにならなくてはいけないと思うのです。