それから2週間後、孝介さんは痰詰まりをきっかけに重症肺炎をおこし、最後を住宅で看取ることに決めました。毎日、レイさんを引き合わせましたが、悲しいほどに夫がわかりません。会わせても上の空の日々が続きました。ところが、亡くなる3日前頃よりレイさんが孝介さんを断続的に認識できる瞬間が増えたのです。
「おとうさん、もうダメかしらね。可哀想ね」とつぶやいたかと思えば、上の空に戻ってしまいます。その翌日には細くなった夫の腕をさすりながら「こんなに細くなって可哀想」と号泣されました。
「レイさん、孝介さんだよ。わかる?」
いよいよ最後の時がきました。職員がレイさんに下顎呼吸(亡くなる寸前の呼吸です)にあえぐ孝介さんの手を握らせます。「レイさん、孝介さんだよ。わかる?」孝介さんは少し手を握り返しました。レイさんは孝介さんにポツリポツリと何かを話しかけ、孝介さんはその度に小さくうなづかれます。
レイさん「あー、先生、お父さん、だめなんですね」「レイさん、孝介さんはもうすぐ亡くなるんですよ。手をしっかり握ってあげてね」「あーそうですかぁ。可哀想ねぇ」とどこか上の空ですが、なんとか事態を認識できたようです。孝介さんは「可哀想、可哀想」とつぶやくレイさんの手を握り、お顔を見つめたまま、静かに息を引き取られました。
お亡くなりになったことをレイさんに告げましたが、「あーそうですか」と目はすでにあらぬ方向に向き、別な世界に戻ってしまいました。
視覚認知が衰えてしまったレイさん「素敵な方ねぇ」
それから2年が経ちました。レイさんは夫が亡くなったことを忘れてしまいました。そもそも記憶に入らなかったのでしょう。
入居して1年目の頃「わたくし先生のことがとっても好きよ」と告白され、数年間に多くのことを忘れてしまっても「誰だかわかる?」と尋ねると「先生でしょ」と覚えていてくれたのに、孝介さんが亡くなった頃から、私のこともわからなくなってしまいました。
孝介さんが亡くなってからも、訪問の度に遺影を見せて「誰だかわかる?」と尋ねても額を叩くだけだったり、「そうですか、お願いします」とあいづちで返されるだけだったり。もうすっかり、視覚認知も衰えてしまったのだろうか?そう見えても、時々、ほんの瞬間、調子が良い時があるのです。
ある日、訪問すると、介護士さんに渡された白黒写真を手に「わー可愛いね、可愛いね、綺麗だねー」と美しい着物姿の女の子の写真を見てはしゃいでいました。
「レイさんの若い頃の写真だよ。綺麗だねぇ」と教えても「可愛いね、可愛いね」と繰り返すだけで、誰の写真かはわからないみたい。でも今日はひょっとして孝介さんをわかるかも、遺影を見せると満面の笑みで「素敵な方ねぇ。かわいくて、優しそう」私は思わず涙が滲んでしまいました。
「レイさんのだんなさんですよ」孝介さんの遺影が微笑んだように見えました。
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鈴木岳
医療法人社団鈴木内科医院
理事長、院長
1966年1月1日生まれ。医療法人社団鈴木内科医院理事長、院長。医学博士。
1991年より市立稚内病院を皮切りに16年の勤務医時代を経て2007年から4年半、実業とカーリングの研鑽を兼ねてスウェーデン、カロリンスカ大学消化器内科に留学、のちに就職。帰国後はスウェーデンで学んだ経験を活かし、2019年日本シニアカーリング選手権、男子日本代表。本業ではかかりつけ医として医療と介護を営み、自前の地域包括ケアシステムを構築中。スウェーデンで学んだLoveandCareをモットーに、愛のある医療と介護、経営を通した地域の幸せ作りに挑戦中。
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日本内科学会総合内科専門医、内視鏡学会専門医、消化器病学会専門医、認知症サポート医、スウェーデン医師資格、北海道スウェーデン協会常任理事、札幌カーリング協会理事、2003年北海道医学会賞受賞。