ある日、突然孝介さんがいなくなってしまった
入居翌年の7月、爽やかな暖かい日に孝介さんがいなくなりました。近くを探しても、どこにも見当たりません。ひょっとして自宅か? と職員が訪ねると、自宅の車庫でへばった孝介さんを見つけました。
連れ戻された孝介さんに事情を聞くと「いや、タバコを吸いに家に帰ったんだけどね、動けなくなったんです」と。「孝介さん、孝介さんは心臓の血管が狭くって、太い動脈もコブになって手術までしているんです。もう無理しないでくださいね」と話すと「はい、わかりました」と返してくれました。
戻った孝介さん、涙を浮かべたレイさんに散々叱られちゃいましたが、この時ばかりはシュンとして聞いていました。これ以降、離設されることはなくなりました。
孝介さんの容態は悪化…入院を促すも、拒絶
入居後3年過ぎたあたりから、孝介さんの心不全と狭心症の悪化が徐々に進み、精神状態に不活発、無欲が目立つようになりました。心不全の終末期は、悪くなっては治療で少し良くなる経過を繰り返しながら徐々にコントロールがつかなくなるものです。
本当に何も摂られないので、塩分が高くて心不全には不向きなものですが、好物だったというカップラーメンとコーラを試したところ、完食されたこともありました。しばらくこれだけで栄養をとった時期もあります。このような職員の工夫にもかかわらず、孝介さんは徐々に痩せが進みました。痩せが進めば嚥下力も衰えます。
入居後4年目の春に重症な肺炎を起こし、止むを得ず入院をお願いしました。ところが病院に馴染めず、治療を拒否され、3日で帰されてしまいました。不思議なもので、病院では拒絶した点滴治療も住宅ではさせてくれました。孝介さんの入院中にレイさんが大変になりました。「宅の主人がいないんですの」と告げ回り、住宅を探し続けます。
都度説明するのですが、忘れてしまうのです。結局、酸素吸入を要したほどの孝介さんの重症肺炎は住宅での点滴で治りました。一方レイさんも、この頃より認知症が著しく悪化していきます。記憶障害だけではなく、会話を取り繕うことさえできなくなり、辻褄を全く合わせられなくなっていきます。
そんなレイさんを案じる孝介さんに「孝介さん、レイさんを残して先にいかないでくださいね」と声をかけると、「私もその所存です」と元気な時はにっこり笑って返してくれました。孝介さんの認知症は簡単な意思確認ができる状態で踏みとどまっていましたが、残念ながらレイさんの認知症は急速に進んでいきました。
認知症が急速に進んだ妻。孝介さんは寂しそうに…
ある訪問時に「奥さん、物忘れ増えちゃったね」と孝介さんに言葉をかけると、寂しそうに「うちのやつ、呆けちゃってひどいです。年だからしょうがないです」と部屋の片隅で他人事のように窓の外を眺めるレイさんに目をむけました。
孝介さんの食欲低下あるいは拒食は手強く、脱水になっては点滴をする、脱水が良くなると、また少し食べてくれるようになる、という経過を繰り返しました。どんどん痩せ細っていき、「このままでは死んじゃうので、食べませんか?」とお願いしても「いいんです。もう年ですから」と返され、本人は一向に気にされません。
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