実践的で厳しい訓練だけが危機管理人を作る
ラインを見つめることで言えば、立たせた後、上司が見本を示してくれる。そうすれば、勘所がわかる。ただし、すぐに教えたら、身につかない。けれども、丸一日、円のなかに立っていた後であれば、どうにかして見つけようという執念が湧いてくる。執念がなければスキルは身につかない。
ねじを探すことも、それをしているうちに、新人はトヨタの現場で働く作業者の仕事がよくわかるようになる。現場の人間とのコミュニケーションが取れるようになる。新人が現場に慣れるための教育が「ねじ探し」だ。
また、生産調査部の人間は協力工場へ連れていかれ、そこで置き去りにされることもある。
「ラインのカイゼンが終わるまで帰ってくるな」
ひとりで先方の社員寮に泊まり、毎日、工場へ行って、ラインの滞留を見つけて、改善案を出す。
最初のうちは誰も話しかけてこない。改善案も無視される。友山さん、朝倉さん、尾上さんなど、名字を呼ばれることはない。「トヨタさん」と呼ばれるだけ……。
ひとりで食事をして、ひとりで部屋に帰って、仕事をして、洗濯物を部屋に吊るして寝る。
そういう生活を3か月から半年、1年以上も経験した人間がいる。
なぜ、そこまで一見、理不尽なスパルタ式の教育をしてきたか。
それは、楽な教育という温情をかけると、実際の危機管理の現場では通用しないからだ。危機の現場とは命にかかわる現場だ。ちょっとした油断が本人や周囲の命にかかわる。
厳しい教育は油断や気のゆるみをなくすためのものだ。
危機の現場ではひとりで考えなくてはならない。上司はいない。ひとりで苦労した体験を頼りにプランを考え、実行し、かつ、被災した人間の力になる。
生産調査部で厳しくしつけられていれば、危機の現場でも動揺せず、焦らずに仕事をまっとうできる。
ただ、今の生産調査部はかつてのような過酷な教育はしていない。しかし、ぬるい指導はしていない。
実践的で厳しい訓練だけが危機管理人を作る。
こうした人材教育を続けていることがトヨタの強さであり、その強さが危機管理につながっている。トヨタの危機管理の土台にあるのはトヨタ生産方式という手法の実践、そして、危機管理人を育てる日々の人材教育だ。
野地秩嘉
ノンフィクション作家