(※画像はイメージです/PIXTA)

経営者は何のために企業を経営しているのでしょうか。会社は社長のものか、社員のものか…、誰のものかという根源的なテーマに対して何度も自問自答を繰り返し、人間性を磨いていきます。経営者はどのように変わっていくのでしょうか。※本連載は、清丸惠三郎氏の著書『「小さな会社の「最強経営」』(プレジデント社)より一部を抜粋・再編集したものです。

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いつかはクラウン、という凡庸な経営者

経営者は何のために企業を経営しているのか、会社は誰のためのものかという根源的なテーマに対して何度も自問自答を繰り返し、自身の考え方を改め、人間性を磨いていく。この過程で、経営者はどのような変貌を遂げていくのだろうか。

 

中小企業家同友会全国協議会(中同協)前会長の鋤柄修相談役幹事は、自身の近著のタイトルが『経営者を叱る』ということからもわかるように、周囲に厳しいだけでなく、己を律することにおいても厳格な企業人である。

 

「会社を私物化して自分の財産を貯めるな」「交際費といえども、飲み代は自分の財布から払え」と、並の中小企業主なら顔をしかめそうな厳しい言葉を次々と吐くが、それが言えるのは自らがこうした徳川家康やトヨタを生んだ三河人らしい廉直な生き方を貫いてきたからにほかならない。

 

鋤柄氏は1971年、29歳のとき、同じ高校から共に三重大学に進んだ友人が立ち上げた零細ベンチャー企業に入社した。

 

自治体や団地、大型商業施設などに設置される上下水道などの水処理プラントのメンテナンス・運営を受託する会社で、現在、鋤柄氏が名誉会長を務めるエステムの前身である。

 

しかし、その時点では、社長一族を含め在籍者はわずか5人にすぎず、鋤柄氏はその5番目のメンバーだった。

 

大学を卒業すると大手製パン会社のフジパン(当時は富士製パン)に入社。その後、結婚を機に夫人の実家の家業であるビスケット工場の経営を助けていたのだが、その会社があろうことかフジパンに買収されることになり、入社後に予想される複雑な人間関係を忌避したいと考え、鋤柄氏は名古屋市内にあった友人の会社への転職を決意したのである。

 

環境問題が重視され始めた時代であり、社業は順調に伸びていった。会社は当初、友人と別の会社との合弁の形態を取っていたが、自主的な経営を求めて出資してくれていた会社の株式を買い取り、その際、鋤柄氏も出資し、オーナー経営陣の一角に加わった。

 

当時の夢は「社長はトヨタのクラウン、私はマークⅡに乗ることだった」というから、そのころの鋤柄氏はよく見かける、儲けたら好きなように自分が使いたいと考える中小企業経営者の一人だったと言っていい。

 

だからといって、経営に手を抜いたわけではもちろんなく、自ら農芸化学科出身ということもあり「技術者集団」を標榜して社員教育に力を入れるとともに、今日で言うCI(コーポレートアイデンティティー)の確立に努めたりもした。

 

結果、収益はさらに伸び、79年9月期決算では想定以上の利益が出た。税金に持っていかれるくらいなら社員に還元しようと、鋤柄氏ら経営陣は考えた。「鉛筆なめなめ」とはいうものの、人事考課を三段階に分けて行い、適正と確信してボーナスを分配した。特に問題視するにあたらない。稚拙かもしれないが、経営者としては良心的とも言っていいだろう。

 

しかし、社員の受け取り方は違った。社員数はすでに40人近くに増えており、かつてのような和気靄々とした家族的な雰囲気の会社ではなくなっていた。翌80年年明けに突如、労働組合が社内に結成される。しかも最高評価の社員を含め、ほとんど全員が参加していた。

 

次ページ労働組合の発足で裏切られた思いが

※初出:清丸惠三郎著『小さな会社の「最強経営」』(プレジデント社、2019年10月11日刊)、肩書等は掲載時のまま。

小さな会社の「最強経営」

小さな会社の「最強経営」

清丸 惠三郎

プレジデント社

4万6千人を超える中小企業の経営者で構成される中小企業家同友会。 南は沖縄から北は北海道まで全国津々浦々に支部を持ち、未来工業、サイゼリヤ、やずや、など多くのユニークな企業を輩出し、いまなお会員数を増やし続けて…

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