岩手の中小企業を一社もつぶさない、つぶさせない
髙島氏の言葉はどこから来たのか。残された主たる被災地は岩手県しかない。しかし少なくとも岩手同友会が発信した初期のFAXには、手元に届けられたものを見る限り髙島氏の語ったような文言は認められなかった。
ただそのFAXには「岩手の中小企業を一社もつぶさない、つぶさせない」「経営者の皆さん、あきらめないで!大丈夫。企業も、雇用も守れます」という他県のものより一段と力強いメッセージ性が込められており、目を通しながら記者はこれらの文言が髙島氏の言葉とかなりニュアンスが通底しあう気がした。
岩手同友会の事務局は内陸の県都盛岡市にあり、地震が弱まると事務局機能が割合早く復旧したと言われている。記者は岩手大学工学部構内の盛岡市産学官連携研究センターに事務局を置く岩手同友会を訪ねた。あの震災から7年余、まだ小雪が舞っている時期だった。
岩手同友会は東北では青森とともに、最も所帯が小さい。応接してくれたのは、同友会入りして20年余りという菊田哲事務局長兼常任理事。
挨拶もそこそこに、「岩手の中小企業を一社もつぶさない、つぶさせない」というあの強いメッセージはどういう経緯で生まれたのかと尋ねた。
地震直後の大きな揺れが収まると、菊田氏は事務局員を取り急ぎ帰宅させた。書類等が散乱した事務所内は停電しており、テレビは映らない、パソコンも、FAXも機能しない。当然、震源地がどこで、震度がいかほどで、どういう被害が起きているかなどもしばらくはわからなかった。
そうした中で、会員と何とか連絡を取りたいと様々な方法にトライした。停電で通常の電話やパソコンは使えない。携帯電話は機能していたが、回線がいっぱいでどこにかけてもつながらなかった。ふと思いついて、中同協の運用する同友会会員間の情報共有の場であるグループウェア「e.doyu」に携帯から情報発信を試みた。
日は落ちて周囲は暗くなるし、外では雪が降りだし、暖房機能が停止しているために室温も下がってきていた。地震直後の恐怖がまだ残っていて、菊田氏自身何をやるにしても手の震えが止まらなかった。
11日午後4時56分、菊田氏は唯一の情報源であるラジオからの情報なども加え「e.doyu」に第1回報告を送った。「(地震から)2時間以上たった今でも震度5以上の余震が続いています。(中略)津波の被害が甚大です。河川の逆流が起こり、三陸沿岸が水没しています」といった内容だった。
その後連日、菊田氏は「e.doyu」に報告を送信し続けた。一方で模造紙にこれから事務局がしなければならないこと、発信しないといけないことを次々と書き出した。
菊田氏に髙島氏の談話について話すと、次のような答えが返ってきた。
「私が書いたものが回り回って髙島さんのところへ送られたのかもしれません。とにかく実状を全国の会員に知らせつつ、被災地の会員には激励の言葉と当面の対策をお伝えし続ける必要があるだろうということで、まず手書きのFAXを何通か送ったのです。その後の混乱の中で原本は行方がわからなくなってしまったのですが、そうしたことも書いたように思います」
記者は喉に引っかかっている小骨のような疑問を、どうやらこれで取り除けた気がした。だがその一方で、なぜそうした内容のFAXを菊田氏が危機的とも言える混乱の渦中にあってすらすらと書きえたのかという疑問が思い浮かんだ。
回答はこうだった。「一社もつぶさない、つぶさせない、だとか、社員を解雇するな、だとかは、われわれが常に腹の中に入れている『労使見解』の考えからすれば当然のことで、それが危機のときにおのずと出てきたのだと思います」
「労使見解」の概略だけ記しておこう。同友会が重視する考えの一つで、正確には「中小企業における労使関係の見解」のことを言う。
最初の「経営者の責任」の項には、「経営者である以上、いかに環境がきびしくとも、時代の変化に対応して、経営を維持し発展させる責任があります」と記され、「なによりも実際の仕事を遂行する労働者の生活を保障するとともに、高い志気のもとに、労働者の自発性が発揮される状態を企業内に確立する努力が決定的に重要」と述べている。
他の中小企業団体には見られない特徴的な、労使のあり方に関する考え方だと言っていい。
また、同友会運動の中核には「自主・民主・連帯の精神」が置かれており、さらに「3つの目的」が存在する。
「3つの目的」は「よい会社をめざす」「よい経営者をめざす」「よい経営環境をつくろう」に集約される。つまり同友会は、こうした精神、目的を有し、協調的な労使関係を築いていくことを目指し、加えて「国民や地域とともに歩む」中小企業団体であろうと、会員間で日々錬磨しているのだということになる。
清丸 惠三郎
ジャーナリスト
出版・編集プロデューサー