「社員は不安のどん底」……。1980年の創業以来、石油ボイラーの販売を手掛けてきた長府工産。市場の変化に耐えられず、業績は低迷、退職者も続出していた。倒産寸前の同社が立て直しのために呼んだのは、「私は退きます」と、2年ほど前に会社を去っていた元専務の伊奈紀道氏。同氏の経営手腕はいかほどだったのか。ノンフィクション作家である神山典士が取材した。

工場を売り飛ばすという噂…去っていく中核社員

その頃から、工場内では目に見えて人員がどんどん減っていった。社内の雰囲気が悪く会社の将来を見限って自ら他社に転職する道を選ぶ人も増え始めたのだ。

 

社内のコミュニケーションが悪くなり、人が辞め始めるともっと雰囲気が悪くなる。まさに悪循環だ。誰が見ても最悪の時期。営業部門と製造部門の関係は最悪。売上は落ちる。将来の見通しは立たない。黒川もまた、深く沈んだ時期だった。

 

「人が辞めていくのはリストラではなく、おそらくこの会社はもうだめだろうなって判断して辞めていく人が多かったんです。私の先輩や同僚も何人も辞めていきました。そもそも私が入社したときも、上に5人くらいしかいなかったんですが。本当に若いメンバーで20代とか下手したら10代のメンバーでやっていたのに、そこからも退職者が出たんです」

 

社内では、製造部門のコストカットやリストラがうまくいったら「きっと経営陣はM&Aで工場を売っちゃおうと思ってるんだ」という噂が流れた。それに反対する営業部は、人事的にも虐げられたような扱いを受けている雰囲気もあった。

 

専務の伊奈が発言を抑えられ、「円満退職」とはいえ社を離れることになったのはその象徴だった。黒川たちは、日々悶々としながら仕事をしていたのだ。

 

「この時期私らはどうなるんかなと、本当に不安になりました。なにしろ直属の上司は営業部とは反対を向いているわけですから。ぐちゃぐちゃですよね」

 

主要商材は時代に沿わなくなり、売上は右肩下がりで落ち続ける。社内は派閥抗争で真っ二つ。新しく来たコンサルの指示で現場は大混乱。工場はM&Aで売り飛ばされる噂で持ちきり。

 

そうなったら私たちの雇用はどうなる? 黒川たち一般社員にとって、それは地獄の日々だった。

 

現在から振り返れば、長府工産はその泥船から伊奈の復帰で蘇った。伊奈に新社長として復帰してもらうこと。社の方針として、メーカー一本槍から商社機能も持つ複合スタイルに転換すること。そしてもう一つ。

 

伊奈たち新経営陣が掲げた大きな方針は、どんなに製造部門が疲弊しても決して投げ出さないこと。工員の雇用を死守して製造を続けて、商社でありながらメーカーとしての機能も維持すること。とにかく社員の雇用をなにがなんでも守ること。それが社員ファーストを掲げた新生長府工産の経営の根幹となった。

 

だがそれは、今日でも大きな課題として引きずるとてつもない巨大な経営の壁であることは間違いない。伊奈の復帰後も、亀浜工場は茨の日々だった。

 

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社員の幸せを創る経営

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神山 典士、伊奈 紀道

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一生懸命働くことは楽しい。 みんなが幸せになれる。一人ひとりが輝ける。 そんな会社をつくろうじゃないか。 長い低迷期が続いていた会社に舞い戻り、会社設立以来最高額の売上を達成した男のメッセージとは――。 ボイ…

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