「社員は不安のどん底」……。1980年の創業以来、石油ボイラーの販売を手掛けてきた長府工産。市場の変化に耐えられず、業績は低迷、退職者も続出していた。倒産寸前の同社が立て直しのために呼んだのは、「私は退きます」と、2年ほど前に会社を去っていた元専務の伊奈紀道氏。同氏の経営手腕はいかほどだったのか。ノンフィクション作家である神山典士が取材した。

リコールに近い不具合発生…混乱する製造現場

創業から約四半世紀、順調な歩みを見せていた長府工産の物づくり部門=亀浜工場にかすかな亀裂が入ったのは2004年のことだった。

 

(写真はイメージです/PIXTA)
(写真はイメージです/PIXTA)

 

その当時長府工産のメイン商品は石油ボイラーであり、年間40億円程度を売り上げていた。工場の社員数も創業時の約2倍、あと少しで100人に手が届くという規模。ラインもフル稼働して月間で約3000台、年間では3万5000台余りの商品が市場に出て行く。それまでの長府工産史上、最も活況を呈していた時期だったと言っていい。

 

ところが――。その中でも最も市場で売上が伸びていたとある商品に、ある時大きな瑕疵が発見されたのだ。当時工場の一工員として働いていた、現在の工場長・黒川和成が当時をこう振り返る。

 

「私はその製品の製造を担当していたのですが、リコールに近いくらいの不具合を出してしまって大きなクレームが発生してしまったんです。2004年くらいでしたでしょうか。それまで工場は順調に稼働していたんですが、ここから実は下り坂に入るんです。もちろん市場全体でも石油ボイラーはいずれマーケットが縮小し始めると言われていましたが、当社ではそれがきっかけで市場よりも一足早く縮小が始まりました」

 

当時のボイラーは、直圧式の機種が市場でいちばん伸びていた。現在は直圧式と貯湯式では7対3くらいの割合になっているが、それが出始めの時だった。その当時はまだ貯湯式が7割、直圧が3割程度。絶対にマーケットはこの新方式でひっくり返るという図式が見えていたので、各社ともに直圧式の商品に力を入れて開発を急いでいた。

 

ところが長府工産が売り出した商品に、根本的な不具合が発見されてしまう。市場でも不具合が出たとクレームが入り、全台交換という騒ぎになった。長府工産のような小さな規模の工場で出荷した全台を交換するとなると、その処理だけで2、3年かかってしまう。黒川が当時を振り返る。

 

「その時に工場全体がみんな沈んじゃったんです。なんか暗い感じになってしまって。返品された製品を廃棄するための分別作業で、製品をばらしたり解体したりする後ろ向きの作業ばかりになってしまった。そんな仕事ばっかりしてたらそりゃ沈みますよ。だけどやらざるを得ないっていうことで、2、3年はそればかりやっていました」

 

伊奈の退社は2005年。クレーム処理で工場内が暗くなったのが2004年頃だとすると、亀浜工場で起きたこの事件が、伊奈の進退にも少なからず影響していたことになる。実は工場だけでなく、本社でもこの頃、ある「変化」が起きていたのだ。

 

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神山 典士、伊奈 紀道

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