「社員は不安のどん底」……。1980年の創業以来、石油ボイラーの販売を手掛けてきた長府工産。市場の変化に耐えられず、業績は低迷、退職者も続出していた。倒産寸前の同社が立て直しのために呼んだのは、「私は退きます」と、2年ほど前に会社を去っていた元専務の伊奈紀道氏。同氏の経営手腕はいかほどだったのか。ノンフィクション作家である神山典士が取材した。

「とにかく大量に辞めた」赤字の石油ボイラー販売会社

長府工産は石油ボイラーの売上に陰りが見え始めた2005年に赤字に転落した。それまで創業以来28年間、ビジネスの本流に据えてきた商材が時代の流れの中で存在感を失ったのだから、それは致し方ないことだった。企業としての課題は、その先にどんな新しいビジョンを描いてV字回復にもっていくかだ。

 

長府工産に限らず、変化の激しい今日のビジネスシーンに活動している企業は、いつどんなタイミングでこの立場に立つか分からない。その時何ができるか? どのタイミングで何を決断できるか? 経営者は常にその局面に立たされている。

 

(※写真はイメージです/PIXTA)
(※写真はイメージです/PIXTA)

 

2005年から4年間、長府工産は赤字のまま低迷している。その最中の2007年に現れたのが伊奈紀道という新しい経営者であり、彼が営業面で大きく方向転換を図った。財務面でその効果が現れたのは2009年から。長府工産は長い低迷期を脱して、やっと黒字となり「攻め」の体制が整ったのだ。

 

だがその裏で、もう一つの「大改革」があった。それは営業面での改革に勝るとも劣らない、いやむしろ日本のビジネス史に残ると言っても過言ではない、信じられないような経営改革だった。

 

その改革に部下として間近で接し、自分ごととして見ていた専務の井村は、それを「腰をぬかすような改革」と表現する。

 

「就任直後から、伊奈さんは腰をぬかすような改革を次から次へといっぱいやりました。会社としては2005年から2008年まで4年間赤字。その赤字の最大の犯人は前にも話した石油ボイラーで、赤字の5、6割を占めていたと思います。その間、めちゃくちゃ社員が辞めました。先輩も同僚も後輩も、とにかく大量に辞めた。会社が倒産しそうだと誰もが感じて、泥船から脱出する人が後を絶たなかったんです」

 

ところが伊奈が社長に戻ってから2年、2009年からは黒字に復帰する。それは営業面の改革だけでなく、実はその裏で行われた社員の待遇や福利厚生面での大改革も大きく貢献していると井村は言う。

 

「その時行われたのは今でいう『働き方改革』でした。当時はそんな言葉はありませんでしたが、伊奈さんは稟議書があがってくると必ず『これは本当に社員のためになるのか? 社員のためになるのはどっちだ?』と呟きながら、たとえコストはかかっても社員のためになるほうにサインする。そのモットーは『社員のモチベーションを下げてはいけない。社員の物心両面の幸せを追求する。選択に困ったときは社員のためになるほうを選ぶ』。とにかく働きやすい組織にするんだと言って、次々と福利厚生や人事面、各種手当てや給与面の改革に手を突っ込みました」

 

その象徴は、2009年に黒字になったときに、「赤字の4年間で昇給すべきお金があるはずだ。それを全社員に支給する」と言って、全社員の基本給を上げたことだった。相当な額にのぼったが、それまでの数年間の評価に応じて、黒字化と同時に全社員の給料を上げた。伊奈がこの施策を採ったのにはわけがある。

 

 

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