新しい分散型交換モデルは交換モデルXの実現か
私は柄谷さんに、「イーサリアムやビットコインのように世界中の不特定多数の人々が組織化し、そのプラットフォーム上で交換が行われる暗号通貨などのような新しい分散型交換モデルは、交換モデルXの実現と捉えてよいのか」と尋ねました。これについて柄谷さんは、地域通貨や自分が考えている通貨発行のシステムなどを交えて答えてくださいました。
つまり、こうした分散型の方向に進むことは決して悪いことではないけれど、相互信頼がない知らない人同士の交換システムの場合、基本的なシステムについてどのように信頼を得ていくかが重要な問題の一つになるというのです。
交換システムに参加する人たちがお互いに顔見知りで、少なくとも誰かの推薦で参加するのであれば、先ほど述べた「家族」という考え方を拡大すればいいのですが、知らない人との交換では「どのようにして信頼を担保するか」を解決しなければならないのです。
市場であれば、これは問題になりません。「交換が自由である」ということだけで、対等性も等価性も必要ないからです。
私が問題にしているのは、知識の交換のようなケースです。私が知識を誰かとシェアしたからといって、私の知識が失われるわけではありません。これは事実上、独占権のない無償の交換モデルですが、この場合、「私の知識をシェアした人が、その知識を用いて私の望まないことを行わない」という信頼関係が必要です。
その信頼関係をどのようにして構築するか。それはまだ完全には解決していない問題です。だからこそ、「この問題を先に解決してからでないとこの道を歩み続けることはできない」と柄谷さんは言うのです。
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実際のところ、こうした「無償」という概念は、仏教あるいは他の宗教などでも謳われています。ほかにも、これと似たような概念を見つけようと思えば見つけられるでしょう。無償であるというのは、ある種の「信仰」と関係しているとも言えるからです。
しかし、柄谷さんは「無償」という概念を決して一種の宗教や信仰とするのではなく、純粋に交換モデルとして分析しています。つまり、「無償と交換の関係はどのようなものなのか」ということですが、たとえばそれは、私が何もかも無償であらゆる人に提供するのを見たあなたが、その行為に同意してくれて、あなたもまた同様の行為をするようなことです。つまり、完全に自発的な行為です。
このような人間性に基づいた信頼関係は成立するでしょうか。もちろん、それは可能だと思います。見ず知らずの人であっても、何度か話をしているうちにだんだん打ち解けてくるというのは、とても自然なことでしょう。
交換モデルXの概念は、「みんなとシェアする過程で、あらゆる人とお互いの信頼関係を築いていく」というものです。一般的には「まず相互の信頼を得てからシェアをする」という順番ですから、ベクトルは正反対です。
たとえば、百科事典の制作は、まず編集されてから出版されるという順番でしたが、ウィキペディアは先に内容を公開し、その内容に意見のある人があとから加筆修正などの編集を加えていくというスタイルです。これまでのやり方とはベクトルが逆転しているわけです。
このベクトルの逆転をどう分析するか。交換モデルXという観点から分析すると、それも一つのやり方であるということです。ウィキペディアでは、「こうすればもっと良い」とか「どうすればより応用が利く」というようなことは言いません。そんな言い方は「市場は自由でなければいけない」と言っているのと同じだからです。