雄弁ではない指導者が評価されれるネット時代
ネットの時代であるからこそ、安定かつ冷静であり、最小のコストで最大限の結果を生み出すディベート専門家として、蔡英文氏は「国家の指導者にふさわしい」という評価を得たのです。インターネットが誕生していなければ、こうした評価は得られなかったと思います。彼女は、政見演説やスピーチなどでの一対一の対話では優れた能力を発揮しますが、群衆を扇動し、多くの人と握手をしながら訴えかけるというやり方は、決して得意ではないからです。
このように、現在の民主主義において、群衆を扇動するような能力の有無は、大きな問題ではありません。ネットの時代に生きる現代の私たちは、たくさんのインタラクティブなゲームや短編動画、ネット住人との対話をネット上で経験しています。専門的な案内人を介してそれらを活用することができれば、蔡氏は非常に明確に自分の哲学を説明することができるでしょう。
そして、それらが明確に説明されればされるほど、私たちは彼女が冷静で長期的な視野を持ち、その聡明な個性は大学教授だけでなく、政治のトップにも適していると理解されるのです。
蔡英文氏は、どちらかといえば、ネット上で討論することに慣れています。蔡氏のやり方であれば、有権者はインターネットのインタラクティブな特性を利用して、彼女により良いアイデアを提供することも可能となります。
新型コロナウイルスの対策指揮センター(CECC)で指揮官を務める陳時中氏も、蔡氏も似たような性格です。毎日の記者会見を始めた当初は、決して雄弁ではありませんでした。しかし、その後、毎日練習して、次第に流暢になっていったように思います。彼も扇動型の政治家ではありません。彼は記者からの辛辣な質問に対しても、温和な雰囲気を崩さず回答していました。しかし、誰も彼が国民の声を代弁していないとは思わず、むしろ安心感を持って話を聞いていたはずです。
これはネット時代の特徴だと思いますが、「比較的雄弁ではない指導者たちこそが、自分たちの主張や意見に耳を傾け、政策に反映してくれる」と人々はネットを通じて実感しているのではないでしょうか。
もし仮に、ネットのような相互コミュニケーションを選ぶことができず、集会で群衆に向かって演説するだけの手段しかないとすれば、こうした地味なタイプの政治家がこれほど評価されることはなかったでしょう。ある意味で、インターネットのインタラクティブ性が、政治における平等を実現したわけです。これもデジタル民主主義の一つの特徴と言っていいと思います。