「知識は力なり」ベーコンは科学思想を変革
信仰から合理性と科学の時代への移行を象徴するのが、イギリスの哲学者・科学者で政治家でもあったフランシス・ベーコンです。「知識は力なり」(scientiaest potentia)という言葉で知られるベーコンは、スコラ哲学で用いられた演繹法(deduction)ではなく、自然に対する観測と実験から真理を引き出すという帰納法(induction)を提言し、その認識の方法は経験論(empiricism)の出発点となりました。
17世紀のヨーロッパは科学革命の時代でした。宗教改革とルネサンスによりカトリック教会の神中心の世界観が後退し、大航海時代の幕開けにより膨大な知識と情報がもたらされました。さらに望遠鏡や顕微鏡などの観察・実験用具が発明され、また数学が自然現象の理論づけに用いられるようになったことで、科学が革命的な進歩を遂げました。
その先駆的な役割を果たしたのが、『星界の報告』で地動説を唱えた有名なガリレオ・ガリレイ、惑星の運行法則を発見したヨハネス・ケプラーらで、それらの科学を体系づけたのが、万有引力の法則を発見し、古典数学を完成させ、古典力学を創設したニュートンです。
ベーコンは、デカルトと共に、世界は原因と結果の連鎖によって動いているとする機械論的世界観の先駆者でもあります。彼の思想は、社会契約論を唱えた『リヴァイアサン』のトマス・ホッブズを経て、「イギリス経験論の父」と呼ばれる『人間知性論』のロックにつながり、『人間本性論』のデヴィッド・ヒュームによって、イギリス経験論(Britishempiricism)として完成を見ることになります。
ヒュームの思想は、後述するカントに強い影響を与えることとなりました。そして、同じスコットランド出身のアダム・スミスとの交流が、後に「近代経済学の父」や「古典派経済学の祖」と呼ばれるスミスの倫理学書『道徳感情論』と経済学書『国富論』につながることになります。
また、ヒュームと同時代のヨーロッパ大陸において、ホッブズやロックから社会契約の概念を継承したのが、ジャン=ジャック・ルソーです。ルソーは『社会契約論』において、共同体(国家)のメンバーが総体として持つ「一般意志」の考え方を示し、フランス革命に強い影響を与えました。ルソーの思想は、カント、ヨーハン・ゴットリープ・フィヒテ、ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルをはじめ、ドイツ観念論(Germanidealism)に強い影響を及ぼすことになります。
このようにベーコンから始まった経験論は、聖書や神学という権威を離れて人間本来の理性により世界を把握しようという、17世紀後半から18世紀にかけての啓蒙主義(enlightenment)の時代につながっていきます。ひいてはイギリスの名誉革命(1688年-1689年)やアメリカ独立宣言(1776年)、さらにはフランス革命(1789年-1799年)にも大きな影響を与えることになります。