「近代哲学の祖」カントのコペルニクス的転回
イギリス経験論と大陸合理論は、共に数学的な確実性を足がかりに真理に到達しようという意味においては、表裏一体といえるものでした。そして、そこからこの経験論と合理論の統合を試みたのが、18世紀プロイセン(ドイツ)の哲学者カントです。
カントは、認識論における「コペルニクス的転回」をもたらした「近代哲学の祖」とされます。認識論とは人が外の世界をいかに認識するかを問うもので、それまで、認識は外部にある対象をそのまま受け入れることによって成り立つ、すなわち、認識は対象に依拠すると考えられていました。
カントはこの考え方を逆転させ、『純粋理性批判』の中で、人の知性には限界があり、認識は永遠に実像であるその「物自体」を捉えることができないため、人が見ているのは対象そのものではなく、認識の枠組みが捉えた「現象」であるとしました。つまり、人は物自体を認識することはできず、認識が現象を構成するのだとして、認識のあり方を180度反転させました(認識論的転回)。
カントは、こうした認識論上の転回をコペルニクスによる天動説から地動説への転回にたとえて自ら「コペルニクス的転回」と呼び、ここに認識自体を問う近代的な認識論が成立することになります。
カント自身は大陸合理論の系譜につながりますが、同時代のヒュームやルソーの思想に触発され、人は自らの経験に基づく認識の枠組みでしか対象を見ることができないとして、合理論を批判しました。その一方で、全ての認識が経験に由来するわけでなく、人は生まれつき備わっている論理的な思考能力によって、対象の実在に近づくことはできるとして、経験論と合理論の統合を図りました。このことにより、それまでの理性による思考と進歩という啓蒙主義の時代は終わりを告げることになります。
カントは『実践理性批判』の中で、自然界における自然法則と同じように、人間界における道徳法則というものを置き、人間が自らの能力を高めればその法則が見えてきて、それに近づくことができると考えました。カントは、道徳法則が分かり、自分の信念(行動原理)に従って行動できるようになることを「自律」と呼び、自律することで人は自由になるのだとしました。
このような、経験論における白紙の人間でもなく、デカルトのいうような生得観念でもなく、認識の枠組みに焦点を当てて人間の普遍的な意識の構造を明らかにしていこうとする認識論における方向転換は、現代における心理学、認知科学、構造主義、現象学などさまざまな新しい学問を生み出していくことになります。
19世紀は新たな哲学・思想が誕生して現代につながる基礎を形成した時期であると同時に、認識論の一部が哲学の外に出て心理学という学問になって独立し、また自然科学が哲学の領域を次々と置き換えていくなどした時代でした。その結果、最後に残された領域が、認識論(epistemology)と存在論(ontology)だったのです。