台湾の「民主化」と「国際化」の精神的支柱
〝For the people〟から〝With the people〟へ
私自身は、一度だけ、李登輝氏にお会いしています。それは1995年の「全国中学生科学技術展」の表彰式でした。当時、叔父が「表彰式に総統が来るなら、直接選挙を本当に実現するのかどうか、いつ実現するか聞いてみたら?」などと私に言っていたのを覚えています。
それまでは台湾の人々が直接投票をして首長を選ぶ機会は、市長や知事の選挙くらいしかありませんでした。だからこそ、総統直接選挙が予定どおりに実現するのか、どのように行われるのかについて、誰もが気にかけていたのです。
実際にはその翌年の1996年に、台湾で初めての総統直接選挙が実施されました。そして李登輝氏が勝利して、それから今日まで、台湾民主化神話の主役として語られるようになりました。ここからも台湾の人々が李登輝氏に対して非常に大きな期待を寄せていたことがわかると思います。
実を言えば、私の父は総統選挙で李登輝氏のライバルだった陳履安氏(当時、監察院長)のスポークスマンでした。ですから、私は陳履安氏の視点から李登輝氏を見ていたことになります。陳履安氏の考えでは、李登輝という人物は社会のあらゆる力(経済の力、国際関係上の力、民主主義制度の力、さらには異なる世代の力)をひっくるめて融合し、それを大きなパワーに変えていく能力を持った人物だということでした。
一方、陳履安氏の当時の主張は、社会の安定した力、たとえば台湾で1999年に起こった921大震災の後に多くのコミュニティが再建される源となった信仰の力や、1996年の初めての総統直接選挙直前の、社会がどことなく浮かれた状況で「過去を振り返るよりも未来を見つめて成長していこう」とする雰囲気を利用しつつ、台湾を建設していこうというものでした。
結果として、総統直接選挙で勝利した李登輝氏は、台湾の人々の中にある自由や民主化を求める願望を後ろ盾としました。それまで李登輝氏は〝For the people〞を掲げて台湾の発展を追求してきましたが、選挙後は〝With the people〞に旗印を変えました。ある意味、方針を転換したわけです。
〝With the people〞という概念は、まず人々が何を望んでいるのかを聞き、それを心に留めておくことです。李登輝氏自身も、独裁体制当時に見合った考え方から総統直接選挙の時代の考え方へと転換するまさにそのプロセスの中にいました。だから、「人々が何を考えているのか」「何を大切にしているのか」をより重視する方向へと考えを変えてきたわけです。
現在の台湾のほぼすべての政党は、李登輝氏の業績を肯定するか否かにかかわらず、李登輝氏が「民主化」と「国際化」という二つの面で台湾を精神的に支えていたということは、否定できません。これは非常に素晴らしい功績だと思います。