(※写真はイメージです/PIXTA)

経済を動かす贅沢や奢侈については、その必要性が古くから議論されてきました。「必要最低限のものだけの人生など獣同然」「個人が道徳を全うしようとすれば社会全体の公益が損なわれる」「他者への優越を示すため」などさまざまです。これら議論の詳細について、是非を問いながら山口周氏が解説します。※本連載は山口周著『ビジネスの未来』(プレジデント社)の一部を抜粋し、編集したものです。

必要最低限のものだけでは人生は味気ない、という意見

必要のないものを消費させる、マーケティングの「不道徳」に対し、開き直って「だからどうした?」という態度をとることもまた、私たちには可能です。たとえばいまから400年前に書かれたウィリアム・シェイクスピアの戯曲『リア王』の第2幕において、娘のリーガンから「召使いが多くて煩わしい、必要なだけで十分だ」と注意を受けた際、リア王は次のように反論しています。

 

「おお、必要がどうのこうのと屁理屈を言うな。どんなに賤しい乞食でも、たとえどんなに粗末な物であろうと余分な物を持っている。自然が必要とする以上の物は許さぬということになれば、人生は獣同然、みじめなものになる。お前は貴婦人だ、暖かくありさえすれば贅沢な衣裳だと言えるものなら、それ、いまお前が着ているその贅沢な衣裳など自然は必要とせぬわ、そんな物、暖かさの足しにはならぬからな。」(原文ママ)

 

ウィリアム・シェイクスピア『リア王』野島秀勝訳

 

(※写真はイメージです/PIXTA)
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シェイクスピアはこの箇所で「自然が必要とする以上の物」と「自然は必要とせぬわ」という2つのセリフにおいて「自然」という用語を用いています。原文では「Nature」となっていますが、もちろん山川草木の自然ではなく、私たちが日本語で「本性」「本然」「本来」といった言葉で示す概念に近い意味での「自然」です。

 

つまりリア王は、リーガンの主張に反対しつつも、贅沢や奢侈といったものが「本性、本然、本来からすれば必要のないものだ」ということは認めているわけです。それを認めた上で「必要最低限のものさえあればいい、などとしみったれたことを言っていたら人生は味気ないものになる」として「過剰」「贅沢」「奢侈(しゃし)」を擁護しているわけで、これはこれで共感できるという人も少なくないでしょう。

 

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ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す

ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す

山口 周

プレジデント社

ビジネスはその歴史的使命をすでに終えているのではないか? 21世紀を生きる私たちの課せられた仕事は、過去のノスタルジーに引きずられて終了しつつある「経済成長」というゲームに不毛な延命・蘇生措置を施すことではない…

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