介護する者はされるほうの「生き方」まで背負うのだ
介護する側、される側、双方には今日に至る歴史がある。長い介護となると実の親子の間でさえ、ぎくしゃくしてくる例も見聞きしている。ましてや嫁姑間には、普段から程度の差こそあれ溝がある。
ここで中に立つ夫の役割が非常に大切になってくることに、世の夫族は気がついてないか、逃げている。嫁が世話をするのは当然だ、俺は会社で大変なのだ。養ってやっているではないかと、ねぎらいの言葉さえない。
介護する者はされるほうの生き方まで背負い込まなければならない。これは結構大変なことなのだ。付かず離れずのこれまでの間柄であれば辛抱出来ることでも、密着せざるを得ない関係になるとお互いに大きなストレスとなる。
ヘルパーは、このしがらみがないだけ気が楽といえば楽だ。おまけに感謝の言葉以外に報酬という目に見えるものまでいただける。二時間とか三時間とか時間制限がある。家族の介護はひどい時は二十四時間である。
私は姑の入院中、看護婦さんの働きには頭の下がる思いをした。そのうえ親切で優しかった。おそらく施設の職員もそうであろうと思うし、私たちヘルパーも皆そうだと思いたい。
しかし家族となると、そうはいかない。