「モダンな顔立ち」には化粧がよく映えた
館内の照明は薄暗く、タバコの煙が充満していた。蓄音機から流れる音楽に混じって、男女の笑い声が響く。思った通り、客の大半は軍服姿の将校や下士官だった。
客の横に座ってお酌する女給たちは、派手な着物にエプロン姿。庶民の女性の間でも流行りはじめたパーマをかけて、化粧もかなり濃い目になっている。
髪は自分で簡素に結ぶだけ、化粧などしたこともないキクノだけに、
「うち、ホンマにここでやっていけるのやろか?」
決心が揺らぎそうになる。しかし、案ずるより産むが易し。幸い、先輩の女給たちは親切で面倒見が良く、素人のキクノに、仕事を手取り足取り教えてくれた。
みんな何らかの事情をかかえて水商売に入った女たちである。境遇の似た者同士、仲間意識は強い。
富田林の奉公先で御寮さんが仕立ててくれた一張羅に着替え、店から支給されたエプロンをかける。先輩の女給たちが髪を結い直し、花かんざしを貸してくれた。
また、化粧のやり方も手取り足取り教えてくれる。先輩の女給たちから「モダンな顔立ち」と評されたキクノの顔には、化粧がよく映えた。
鏡を見て本人も驚いた。薄汚れた田舎者の自分が、こんなに変貌しようとは……。やはり、女性にとってお洒落や化粧は心強い武装になる。鏡に映る自分の姿を眺めるうち、「やれそうだ」と、自信がみなぎってきた。
カフェーから近い場所に、女給仲間と相部屋ではあるが住居を与えられた。
仕事をはじめてから1ヵ月が過ぎているが、まだ、男性との会話には慣れずにたどたどしく、お酌する手付きはぎこちない。
しかし、客あしらいの上手い女給よりも、こういった初々しい娘を好む客は多いもの。しだいにひいきの客もつくようになってくる。
カフェーの女給には、住む場所と食事が与えられるだけで、給料は支給されない。客からもらうチップだけが収入源だった。
客が付けば50銭から1円程度のチップがもらえる。陸軍師団に隣接した商店街のカフェーは、いつも軍人や軍関係の仕事をする民間人でにぎわっていた。客が途絶える心配はない。
当時の女給の月収は50円程度といわれるが、売れっ子の商売上手ともなれば客からのチップだけで100円以上は稼いでいた。高価な服やアクセサリーをプレゼントされることもある。小学校にも満足に通えなかった貧乏人の娘が、大卒のエリート社員と変わらぬ高収入を得ることができるのだ。
キクノの場合はそこまで稼げなかったようだが、それでも女中の月給と比べれば、その10倍くらいにはなる。女を武器にすれば、これほど簡単に金を得ることができるのだ。こんな世界があったのかと、驚いてしまう。
青山 誠
作家
【関連記事】
■税務調査官「出身はどちらですか?」の真意…税務調査で“やり手の調査官”が聞いてくる「3つの質問」【税理士が解説】
■月22万円もらえるはずが…65歳・元会社員夫婦「年金ルール」知らず、想定外の年金減額「何かの間違いでは?」
■「もはや無法地帯」2億円・港区の超高級タワマンで起きている異変…世帯年収2000万円の男性が〈豊洲タワマンからの転居〉を大後悔するワケ
■「NISAで1,300万円消えた…。」銀行員のアドバイスで、退職金運用を始めた“年金25万円の60代夫婦”…年金に上乗せでゆとりの老後のはずが、一転、破産危機【FPが解説】
■「銀行員の助言どおり、祖母から年100万円ずつ生前贈与を受けました」→税務調査官「これは贈与になりません」…否認されないための4つのポイント【税理士が解説】