「どうにかしなきゃな」先延ばしにしていたら突然…
二階堂社長には、正妻との子供に事業を承継させる準備が整うまでことを荒立てたくないという思いがあったのだ。ましてや自分の相続のこととなると、まだまだ現実味もなかった。ただ、自分が生きている間に華子と義男が十分な財産を受け取れるだけの処理をしなければならないし、正妻にも時期が来れば何らかの償いをしなくてはとも思っていた。
ところが、そんな状態を何年も続けてきたある日、二階堂社長は歩道に突っ込んできた車にひかれ、突如帰らぬ人となってしまった。
二階堂社長の急逝で華子は収入が激減し、家族の生活は一変した。母親の介護をしていた華子は、生活を支えるために昼夜を問わず働かざるを得なくなった。しかし、無理が続いたのか、ある時、華子もからだを壊してしまう。そのため、義男は間近に迫った大学進学をあきらめることにしたのだった。
そんな混乱が2年も続き、義男は父親のことをひどく憎むようになった。見るに見かねた華子の親族は、弁護士に相談して「認知訴訟」を起こすことを義男に提案した。義男はそこで父親が死んでから3年以内だと「死後認知」の手続きができることを知ることとなったのだ。
訴えが認められれば、自分も父親の財産の相続権を持つことができる──。母親は訴えをやめるように諭してきたが、二十歳になる義男は自分の決断を変えなかった。父親が自分たちのことをどう考えていたかは知るよしもないが、今は、母親に楽になって欲しいという一心で、弁護士事務所のドアを叩いた。
そして、二階堂社長が亡くなってから3年以内のある日、義男は弁護士を通じて二階堂社長の親族に連絡を取り、認知の手続きを始めたのである。