「最初の2年間は自分の限界まで働け」はパワハラ
新研修医制度の衝撃
昭和時代、日本の医療界はドラマ『白い巨塔』で描かれたような封建的な大学医局に支配されており、教授は絶対君主のように君臨していた。2004年4月、『白い巨塔』唐沢寿明版放映終了の翌月から、新医師臨床研修制度(以下、新研修医制度)が始まった。「大学病院では、病気は診るが病人は診ていない」「新人医師の待遇が悪すぎる」「大学医局が封建的」といった諸問題を解決するため、と説明された。医師免許取りたての新人医師は2年間、特定の医局には属さず「外科2カ月→小児科2カ月→麻酔科1カ月……」のように、短期間で複数の科をローテートすることが必須となった。
厚労省のエライ人によると、こうすることによって「幅広い臨床能力が身に付く」そうだが、「その代わり専門性が手薄になるんじゃないの?」「1~2カ月じゃ、見学に毛の生えたことしかできないよね」というような現場からの反論は黙殺された。それまで、慣習的に卒業した医大の附属病院に就職することが多かった新人医師は、この制度変更をきっかけに、封建的な大学病院を嫌って、都市部の一般病院に就職する者が急増した。
午後5時で研修が終わる
また、同時に発表された厚労省の「新医師臨床研修制度における指導ガイドライン」によると「研修医に雑用をさせてはならない」「本人の同意のない時間外労働は禁止」「研修医がミスをしても叱らず、本人の言い分を十分に聞いた上で諭す」「研修医はストレスで抑うつ状態になりやすいので、指導医は注意深くケアすべき」「研修医が体調不良やうつ状態を訴える場合は、指導医は仕事を減らしたり、休業させたりするべき(2年間で最大90日まで可)」ということになっている。
「鉄は熱いうちに打て」「最初の2年間は自分の限界まで働いて、医師としての基礎を作れ」式の指導は、パワハラと呼ばれ、「ガイドライン違反」として処分されるようになった。「研修医にさせてはならない」とされた雑用の多くは、中堅医師の負担となった。
研修医は「下っ端」から「お客様」になった。大学病院から鬼軍曹が消えた。やさしく物わかりのいい(ふりをした)インストラクターしかいなくなった。患者の死に立ち会った研修医がショックを受けて、翌朝「昨日のショックでうつになったので、今日は静養します」と電話してきても、指導医は「大丈夫? ちゃんと寝られたの?」と、やさしい口調で案じてあげて、黙って仕事の穴を埋めなければならない。
16:00にはパソコンを閉じ、16:50には着替えを済ませ、17:05には院内から姿を消す研修医は珍しくなくなった。ある病院で、心電図の不得意な研修医が目立ったので、指導医が無給で月曜日18:00~20:00の勉強会を企画し、自腹で教材を作成したところ、研修医は歓迎するどころか「そういうのは、勤務時間中にやるべきだ」とのクレームが相次ぎ、勉強会は中止された。別の病院では、指導医が「今日の午後は、私の外来を手伝って」と研修医に指示したところ、「今日は、初対面の人と話をする気分じゃないんですぅ~」という返事だったので、指導医は一人で外来をこなした。「メンタル不調を訴える研修医を、ムリヤリ働かせた指導医」として処分されるリスクを恐れたからである。