今回は、議決権を経営者に残したまま、配当利益のみを後継者に移転する信託について見ていきます。

議決権は経営者、配当利益のみ後継者?

これまでの連載でもたびたび触れてきましたが、信託の最大の特徴は、財産の名義人と経済的利益の帰属者を別々にすることができる点にあります。この機能を相続・事業承継に生かす手法として、連載の第1回では、現経営者の死亡・意思能力喪失の際に、株主配当を現経営者に残したまま、株式の議決権のみを次期経営者に移す方法をご紹介しました。

 

今回はその全く逆のパターン、つまり議決権を経営者に残したまま、配当利益のみを後継者に移転する信託をご説明します。

株価上昇前の財産移転で贈与税の負担を抑える

X社は、精密機器部品の製造・卸販売を行う非上場の中小企業で、代表取締役社長が株式の100%を保有しています。既存事業の落ち込みをカバーするために10年前に立ち上げた新規事業がようやく軌道に乗りはじめ、苦しい状況を脱しかけています。

 

60歳を迎えた社長は、新規事業の仕掛人である長男のビジネスセンスを認めており、将来は長男に経営を引き継がせようと考えていますが、会社経営の根幹に当たる議決権を譲るにはまだまだ経験が足りないと考えています。しかし今後、会社の業績が回復し利益が積み上がると株式の資産価値も上昇するため、株式譲渡のタイミングが遅れるほど贈与税の負担は重くなることが予想されます。

 

いざというときには個人資産を頼りにして会社の窮地を救わなければならない経営者としての苦悩を知っている社長としては、無計画な株式譲渡により税を負担させて長男の個人資産がへってしまうことは避けたいと考えています。

 

早く財産価値を移転したいというニーズと、議決権(財産の名義)はまだ譲りたくないというニーズ。この相反する2つのニーズを信託により同時に満足することができます。この場合は、以下のような信託形態が有効でしょう。

 

●社長は、自分を受託者、長男を受益者とする信託を設定する

●社長の死亡などにより信託が終了した場合には、議決権は長男に帰属するものとする

 

株式の名義は社長のままですので、社長が引き続き株主として会社の舵取りをすることができます。一方、株主配当という経済的利益を受ける権利(受益権)は、信託の設定と同時に長男に移転します。この際、税務上は、形式的な所有者である受託者ではなく、実質的な所有者である受益者に財産価値が移転したとみなされ、課税関係が生じる(長男に贈与税が課税される)ことになります。

 

つまり、業績が回復して株式価格が上昇する前に財産の移転を行ったことになりますので、業績回復後に株式を移転する場合と比べて、贈与税の負担を少額に抑えることができるのです。

 

また、社長にもしものことがあったときには、長男は議決権も含めて株式の完全な所有権を取得することになりますので、事業承継対策も整います。

「自己信託」としての制約に要注意

今回のような委託者自身を受託者とする信託、自己の意思のみで生前の財産処分を完結できる点で有用である半面、法令上は「自己信託」と定義されて様々な制約が課される点に注意が必要です。

 

例えば形式的な要件として、公正証書により信託内容を作成すること、受益者に対して確定日付のある書面により信託の内容を通知することが求められます。また、債権者からの強制執行逃れを目的として財産に自己信託を設定することは認められません。

 

以上、今回は厳格なルールに則しつつ「自己信託」を設定して、節税と事業承継を行う方法をご紹介いたしました。

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