中小企業オーナーや個人富裕層の間で関心が高まっている「信託」の活用。本連載では、昨今とくに話題の「民事信託」を中心に、事業承継や相続対策における具体的な活用法を紹介していきます。第1回は、「株式信託」の活用です。

「社長の遺言」さえあれば会社は安泰か?

中小企業のオーナー社長が「事業承継・相続対策」と聞いてまず思い浮かべるのは、「遺言」かも知れません。しかし、適切な方法で準備をしておかなければ、手塩にかけてきた会社が立ち行かなくなるおそれがあります。

 

以下のケースで考えてみましょう。

 

●A社は創業30年の中堅会社。社長(60歳)が1代で築き上げた。

●取締役は社長1人、社長が100%株主。

●後継者のメド(長男、30歳)は立てているが、まだ経験不足。

●次男は別会社に就職しており、家業には関心がないが、長男が会社を継ぐのであれば、自分も相応な財産的分け前が欲しいと主張している。

●社長の保有資産は、多少の預貯金を除くと自社株のみ。

 

社長は、できればすべてを長男に引き継がせたいと考えていますが、株式以外に資産がないため、引退後の生活費をどう捻出するか、また、会社経営に関心がない次男には何を引き継がせるのか、頭を悩ませています。

 

ひとまず自分にもしものことがあったときのために、「株式のすべてを長男に譲る」という内容の遺言を作成していました。

社長が突然倒れた。そのとき会社は・・・

そんな折、社長は脳梗塞で倒れ、救急で病院に運ばれました。幸い一命は取り留めましたが、その後遺症でほぼ植物人間の状態となってしまいました。社長一家にとって大きな悲劇ですが、A社にとっても苦難が待ち構えていました。

 

A社の取締役は社長1人です。その社長が植物人間では日々の決裁ができませんので、早急に株主総会で後任を選ぶ必要があります。しかし、A社の株主はやはり社長1人なので、後任を選ぶこともできないのです。

 

この場合、法的手続としては、裁判所に社長の成年後見の申立てを行って成年後見人を選任してもらい、その成年後見人に株主としての議決権を行使してもらうことになります。しかし、成年後見人は、申立てから選任まで数ヶ月かかることが通常であり、その間は決裁権者が不在となります。また、A社に何の縁もない専門家が選任されることもあるため、会社にとって適切な意思決定をできるとは限らないのです。

株式信託なら「議決権」と「配当収受権」の分離が可能

こうした事態への対策のひとつとして、「株式信託」という方法があります。

 

「信託」とは、本人(委託者)が、他の者(受託者)に自己の財産の名義を移転し、受託者は、本人が定めた目的にしたがって、本人が指定した者(受益者)のために、その財産の管理・運用・処分を行うという仕組みです。

 

信託の特徴として、大きく以下の3点が挙げられます。

 

●委託者・受託者間の契約により設定できるため、その効力発生に条件を付すことができる

●財産の名義人=議決権を行使する者(受託者)と、配当などの経済的利益を収受する者(受益者)を別々とすることができる。

●受益者の地位の承継を、当初段階から設計できる

 

先述のA社の場合は、以下のような信託契約ができるでしょう。

 

●社長を委託者かつ最初の受益者、長男を受託者、次男を2番目の受益者とする。

●社長が事故や認知症などにより意思能力を喪失することを信託の効力発生条件とする。

 

社長が意思能力を失った場合は、信託が発効し、株式の名義は長男に移るため、長男が株主総会で議決権を行使することができます。最初の受益者である社長は、株主配当を受けることができますので、これを生活費、療養看護の費用に当てることができます。さらには、社長が亡くなった後は、次男が利益配当を受けることができますので、会社を長男が承継したという不公平感を和らげることができます。

 

このように、「信託」の活用によって、経営権の承継、資産の平等な分配、老後の資金の確保という複数の課題を、一度に対応することも可能になるのです。

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