同じ「大名」でも異なる待遇…江戸時代の大名は3種類
ところで、大名(だいみょう)とは何のことだかわかりますか? なんとなく、その地域を治めている人ということは想像できると思いますが、正しくは、大名は将軍(しょうぐん)から1万石(ごく)以上の領地を与えられた武士(ぶし)のことを言います。
ちなみに1万石未満で将軍(しょうぐん)と会うことを許された家臣を旗本(はたもと)、許されなかった家臣を御家人(ごけにん)と言います。さて、大名は全国で260あまりに上りました。それを幕府(ばくふ)は、次の3種類に分けたのです。
●親藩(しんぱん):徳川氏(とくがわし)一族。御三家(ごさんけ)(水戸〔みと〕・尾張〔おわり〕・紀伊〔きい〕)が有名。
●譜代(ふだい):関ヶ原(せきがはら)の戦いの前から徳川氏に従っていた大名。
●外様(とざま):関ヶ原の戦い以後、徳川氏に従った大名
譜代は譜代大名、外様は外様大名とも呼ばれます。外様という言葉は、会社でも使いますよ。あとから入社してきた人や、もともと別の会社で働いていて最近入ってきた人たちを指します。
「いや、俺って外様でしょ…。だから、みんなから信頼されていないんじゃないかと不安になって…」というように使われたりします。
幕府は外様大名を警戒します。なぜなら、彼らは関ヶ原の戦いで家康(いえやす)が勝ったことで、しぶしぶ仲間になった人たちだからです。何かあれば反乱を起こすかもしれません。
そこで幕府は、江戸(えど)の近くや重要な地方には親藩や譜代大名を、遠い地方には外様大名を配置し、互いに監視し合うしくみにしました。
「将軍の権力」が圧倒的に強い江戸幕府
江戸幕府のしくみを簡単に表で説明しましょう(図表1)。前回の記事『わかりますか?中学受験レベルの問題「江戸幕府ができるまで」』で説明したように、3代将軍の家光(いえみつ)の頃に政治のしくみはほぼ完成しました(関連記事参照)。政治の実権は将軍が握っており、将軍を助け、政治全般を見る老中(ろうじゅう)が置かれました。
鎌倉(かまくら)時代には執権(しっけん)、室町(むろまち)時代には管領(かんれい)が、それぞれ将軍を補佐する役職として設けられていました。でも、江戸幕府の場合は、将軍の権力が圧倒的に強いのです。それが、鎌倉幕府・室町幕府との大きな違いです。
鎌倉、室町とも執権、管領が強く、将軍の権力が弱まってしまったので、江戸幕府はそれを避けようとしたのでしょう。
また、鎌倉時代に後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)が起こした乱がありましたね。覚えていますか? 1221年の承久(じょうきゅう)の乱です。
あの出来事の後、京都にある朝廷(ちょうてい)を監視するために六波羅探題(ろくはらたんだい)が置かれました。江戸幕府は、同じ失敗はしないぞと、はじめから京都所司代(きょうとしょしだい)という朝廷を監視する役所をつくっています。過去の歴史を参考にしているのですね。
幕府は直接治める天領(てんりょう)を400万石持ち、旗本や御家人の領地と合わせると700万石、実に4分の1が幕府の領地でした。それだけ大きな力を持っていたのです。
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