労働法に「社長」という言葉は出てこない
訴訟に持ち込まれたら会社は不利?
「社長の用心棒になって、社員からの不当な要求を追い払ってやる」という弁護士になりたてだったころの私の誓いは、労働裁判に負け続け、海の波間に消えていった。
たとえば、とある運送関連の会社では、いわゆる問題社員が休日に酒気帯び運転をした。日々の指導にもかかわらず、彼が一向に反省しない姿勢を社長は許せず、解雇した。「ここまで問題があれば、訴訟はなんとかいけるだろう」と考えていたら、裁判所から「ちょっと処分が重すぎますね」と言われてしまった。同席した社長は天井を見上げた。なんというか、弁護士としての予想がはずれて、なんともつらい立場に置かれてしまった。
こんな死屍累々の経験の果てに、私は「裁判に持ち込まれる前に解決する」と事務所の方針を切り替えた。では、なぜ労働事件は社長にとってこれほど不利なのだろうか。
労働法に「社長」はいない
日本には、労働契約法や労働基準法といった「労働」に関する法律が、ざっと思いつくだけでも19種類くらいある。これに政令や省令も含めれば、さらに増えてくる。弁護士といえども、そのすべてを把握しているわけではなく、必要に応じて調べながら対応しているのが現状だ。とくに労働分野は政治の影響を受けやすく、法改正も多いため、アップデートするだけでも結構大変だったりする。
このように、労働に関する規制はあまたあれども、実は「社長」という言葉は条文のどこにも出てこない。労働基準法をはじめとした労働法規は、基本的に「社員」を守るものであって、「社長」を守るものではないのだ。そもそも日本の法律は、大企業を想定した仕組みが多い。たとえば、会社法の大原則として「所有と経営の分離」を司法試験の受験時に学ぶ。「優秀な人物に経営を依頼することが効率的」という趣旨だ。
でも、実際には日本の中小企業の大半がオーナー企業であり、所有(株主)と経営(代表取締役)が同一であるのが普通だ。しかも優秀だろうがそうでなかろうが、オーナーの子どもが後継者になることが既定路線になっている。
このように日本の法制度と同族企業の経営の実態はまったく合致していない。労働法もしかりだ。「法律は中小企業の実態をわかっていない」と嘆いてもなにもはじまらない。