本記事では法定相続の理不尽さを見てみましょう。法定相続では、兄弟全員同じ相続分しかもらえません。誰かひとりが親と同居し、介護をしても、余程のことがない限りその世話をした分は相続分に反映されないのです。親孝行をした人はタダ働き、何もしなかった人は笑う相続人となっていきます。 ※本記事は、青山東京法律事務所の代表弁護士・植田統氏の書籍 『きれいに死ぬための相続の話をしよう 残される家族が困らないために必要な準備』(KADOKAWA)より一部を抜粋したものです。
徘徊する義母を必死で探す。都内の血縁者は何もせず…
葉子さんは、ご飯を食べたのを忘れてしまったり、世話をしている優子さんの名前を忘れてしまったりするのですが、優子さんは、持ち前の優しさで辛抱強く面倒を見ていました。
もちろん、東京に出て行った一郎さんの奥さんの真理子さん、二郎さんの奥さんの由美子さん、横浜に住んでいる四郎さんは、何もしてくれません。
それから3年、葉子さんの認知症は重くなる一方で、ときどき徘徊するようになりました。夜中に突然いなくなってしまうのです。そんなときは、優子さんは三郎さんと手分けして、裏山や町へ行く道を捜し、何とか見つけ出しました。
こんな大変な日が続いたのですが、葉子さんも92歳の夏を迎えると、突然体力がガクッと落ち、食事もできないようになりました。最後の1週間は、優子さんが、また病院に泊まり込み、寝ずに世話をしました。
葉子さんは時折意識が戻ることがあり、そのときは優子さんの目を見つめて、しきりに「ありがとう。世話になったね」と言っていました。そして、夏の終わりの暑い日、葉子さんは、ついに病院のベッドで息を引き取りました。大往生です。
田舎ですから家で葬式を出し、先祖代々の墓に英樹さんと一緒に葬られました。
葬式のときに、東京圏に住んでいる一郎さんの子供の拓也さんと静香さん、二郎さんの奥さんの由美子さん、四郎さんとは久々に会いました。
四十九日には、また皆で集まって法要をやることになっています。そして、そのときに相続の話になるのは目に見えています。そこで、三郎さんは、四十九日の前に相続のことを考えておこうと葉子さんの財産を調べることにしました。
葉子さんは、英樹さんから家と農地と1000万円ほどの預金を相続していました。英樹さんが亡くなった時は、葉子さんがすべてを相続し子供には分けなかったのです。
これに加えて、葉子さんは、二郎さんが亡くなった時、2000万円の現金を由美子さんから手に入れています。ですから、田舎の農家の奥さんだったとはいえ、葉子さんは、家と農地と3000万円の預金を持つ資産家でした。
青山東京法律事務所 代表弁護士
1981年に東京大学法学部卒業後、東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)に入行し、外国為替、融資業務等を経験。
その後、アメリカ ダートマス大学MBAコースへの留学を経て、世界の四大経営戦略コンサルティング会社の一角を占めるブーズ・アレン・アンド・ハミルトン(現PWCストラテジー)に入社し、大手金融機関や製薬メーカーに対する経営戦略コンサルティングを担当。
その後、転じた野村アセットマネジメントでは資産運用業務を経験し、投資信託協会でデリバティブ専門委員会委員長、リスク・マネジメント専門委員会委員長を歴任。
その後、世界有数のデータベース会社であるレクシスネクシス・ジャパン株式会社の社長となり、経営計画の立案・実行、人材のマネジメント、取引先の開拓を行った。弁護士になる直前まで、世界最大の企業再生コンサルティング会社であるアリックスパートナーズに勤務し、ライブドア、JAL等の再生案件、一部上場企業の粉飾決算事件等を担当した。
2010年弁護士登録を経て南青山M’s法律会計事務所に参画し、2014年6月独立して青山東京法律事務所を開設。
現在は、銀行員、コンサルタントと経営者として蓄積したビジネス経験をビジネスマンに伝授するため、社会人大学院である名古屋商科大学経営大学院(MBA)教授として企業再生論、経営戦略論を学生に講義するほか、数社の社外取締役、監査役を務めている。過去5年間に、経営、キャリア、法律分野で精力的に出版活動を展開している。
主な著書に「きれいに死んでいくための相続の話をしよう」(KADOKAWA)、共著に「マーケットドライビング戦略」(東洋経済新報社)「企業再生プロフェッショナル」(日本経済新聞出版社)など。
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