「合意なき」離脱への恐ろしいカウントダウンが再度始まったか。英国ジョンソン首相が提出した「国内市場法案」をめぐり、国内・欧州全体が紛糾している。欧州連合と英国の間で締結された離脱協定とは異なる内容の法案をEUは強く非難、法的措置も辞さない考えを示した。ますます混乱極まる英国だが、今回の騒動をNippon Wealth Limited, a Restricted Licence BankのCIO・長谷川建一氏はどう見たか。

ジョンソン首相が「国内市場法案」を英議会に提出も

■欧州連合と英国との間で締結された離脱協定の基本内容に違反

 

ジョンソン英首相が英国議会に提出した国内市場法案が、波紋を広げている。この法案は、北アイルランドと英国本土との貿易に関する税関手続きを免除する規定や、「合意なき」離脱となった場合に北アイルランドに輸入される物品が関税対象かどうかを判断する権限が、英国の政務担当者にあるとの規定を含んでいる。これらの手続き規定は、欧州連合と英国の間で締結された離脱協定の基本内容と相反すると考えられる。

 

欧州委員会は、同法案の提出を知るとすぐに反応し、英国政府に対して「離脱合意の条件に反する国際法に違反し、EUと英国間の離脱交渉を脅かす」と強く非難する声明を発表した。そして、法的措置も辞さない構えを示した。

 

(※写真はイメージです/PIXTA)
(※写真はイメージです/PIXTA)

 

しかし、ジョンソン首相は欧州委員会の批判に耳を貸さず、英政府として要求を拒否した。バルニエEU首席交渉官も、英国との交渉はまったく進展しないと述べて、さじを投げた格好になってしまった。

 

英国内でも、蜂の巣をつついたような騒ぎになった。メージャー元首相とブレア元首相は、13日に日曜紙サンデー・タイムズに連名で寄稿し、ジョンソン首相の提案は「英政府の名誉を傷つけ、国に恥をかかせる」ものと指摘したうえで、「法案は英国が批准した離脱協定に違反し、議会が可決した法を覆すもの」と批判した。両氏はこれまで、EU離脱に反対するEU残留派の立場だったが、今回の寄稿では、離脱容認の立場であることを明らかにしたうえで「この交渉は無責任で危険」であると警告した。

 

ブラウン元首相、キャメロン元首相、メイ前首相もそれぞれメディアに登場し、ジョンソン政権の姿勢に懸念を表明した。存命中の首相経験者5人全員がジョンソン内閣を批判する異例の混乱ぶりとなった。

欧州委員会委員長は「非常に不愉快な不意打ち」と非難

14日には、英国下院の「第2読会」で審議と採決が行われ、審議入りすることが決まった。ただEU離脱合意の内容に抵触し国際法に違反することはジョンソン内閣の閣僚の一部も認めるところだった。実際、コックス前法務長官は、同法案が成立すると、英国の国際的な評判に「途方もない打撃」になると批判した。コックス氏の意見に同調する与党議員は十数人いるとも漏れ聞こえる。さらにバックランド司法相もインタビューで「容認できない」形で法の支配が破られれば辞任する考えを明らかにした。

 

英国議会では、21日から22日にかけて第3・4回の全院委員会が開催され、「国内市場法案」が審議される。英国と欧州連合間では、9月28日から10月1日にかけて第9回の自由貿易協定を協議する予定である。英国が欧州連合から離脱する移行措置期間は、2020年12月31日に終了する。ジョンソン英首相が自ら設定した協議の期限は10月15日であり、時間はほぼないといっていい。

 

18日まで開催されていた第8回の協議では、英国側は有益な協議になったと評価した。幅広く問題を議論し、一部では進展があったと述べた上で、漁業や補助金など主要分野では双方の意見に大きな隔たりが残っているという。

 

一方のフォン・デア・ライエン欧州委員長は、EUと英国が締結した離脱協定を一部無効にする法案をジョンソン首相が提出したことは「非常に不愉快な不意打ち」だったとして腹立たしさを隠せない様子だった。ただ、今後も貿易協議の合意に焦点を当てるべきだも述べて、「合意はなお可能」と協議の継続を受け入れる大人の対応を見せた。

 

このまま英国と欧州連合の協議が進まず、自由貿易協定(FTA)交渉でも妥結しなければ、再度ハードブレグジット、すなわち「合意なき離脱」の不安が蘇ることになる。

コロナ×ハードブレクジット…二重苦の欧州自動車業界

ハードブレクジットがもたらす損害は悲惨なものになるだろう。欧州自動車工業会(ACEA)と欧州自動車部品工業会(CLEPA)は9月14日にEUと英国両政府に対して、自由貿易協定(FTA)締結を強く要求した。理由は、離脱移行期間が終了するまでにFTAが締結されない場合、欧州全体で自動車業界が被る損失は、2025年までの5年間で約1,100億ユーロに上り、1,460万人の雇用に影響が出るからである。

 

「FTAなき離脱」となった場合の自動車協会のシミュレーションは、以下の通りである。

 

英国からEUへの輸入には乗用車に10%、バンやトラックには22%の関税が課されることになる。その場合、多くのメーカーにとっては、関税額がマージンを上回るため、販売価格の引上げに踏み切らざるを得ず、需要に影響が出ることが予想される。さらに、部品についても関税の影響を受けることから、生産コストの増加や、より価格が安い国からの輸入に切り替えなければならなくなり、欧州外での部品調達や生産にシフトすることも懸念される。その結果、乗用車とバンについては、EUおよび英国において生産台数が約300万台も減少し、英国の工場では528億ユーロ、EU域内の工場では577億ユーロの損失が生じる恐れがあるという。

 

加えて今年は新型コロナウイルス感染拡大の影響により、欧州域内の需要は急減し、欧州自動車業界が深刻な打撃を受けている。すでに生産台数は約360万台減少し、業界全体では約1,000億ユーロの損失が出ているそうだ。ACEAのフイテマ事務局長は、新型コロナウイルスの感染拡大による影響に加えてFTAが締結されないとなれば「自動車業界は二重の打撃を受け、大ダメージを受けることになる」と述べた。

 

生産や雇用の減少を通じて被る経済全体への影響は計り知れないものになるだろう。いずれにしても、移行期間の終了まで時間は限られている。そして仮に、FTAを締結できたたとしても、欧州域内の企業が新しい環境下の状況に対応するまで、準備にそれなりの時間が必要である。早期の交渉妥結は欠かせないというのに、ジョンソン首相の戦略は英国及び欧州連合の経済をリスクに晒していることになる。

 

ジョンソン首相のやり方は、交渉術としては、なかなかのものだが、離脱期限の延期を繰り返してきた綱渡りのやり方は、そろそろ限界に来ているように感じる。

 

為替相場では、6月末を境に、英ポンドは反転上昇に入り、値を戻してきた。1ポンド=1.16台まで下げる局面もあったが、その後は、経済対策を追い風とした景気回復期待により、8月下旬には1ポンド=1.33台までつける局面もあった。しかし、ハードブレクジット懸念と新型コロナウイルス感染の拡大が続き、先週末は1.28ドル台まで押し込まれた。一旦、ポンドの戻り局面は終わり、短期的な調整に入ると予想している。10月中旬までは、厳しい時間が続くだろう。

 

 

長谷川 建一

Nippon Wealth Limited, a Restricted Licence Bank(NWB/日本ウェルス) CIO

 

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    本稿は、個人的な見解を述べたもので、NWBとしての公式見解ではない点、ご留意ください。

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