おもしろい人になるために空気を読んでみた
おもしろい人になるには、周囲の空気を読む必要が出てきます。そもそも、私が空気を読むようになった要因は、3歳の頃までさかのぼります。
小さい子どもって、「ねぇねぇ、ママ」と話しかけたりしますよね。私の母親はヒステリックだから、それに対して「今、話しかけないでよ! 考えごとしてるのわかるでょ!」
と怒鳴るんです。
それで、「あ、話しかけるときは相手の顔色を見て、空気を読まなきゃいけないんだ。話しかけていいときとダメなときがあるんだ」と、そう覚えたんですね。下手すりゃ痛い目にあうぞ、と。そのかいあって、幼稚園から今に至るまで、とくにイジメられることもなく、楽しい日々をおくることができています。
私は、「平和な家庭」という環境には恵まれなかった。でも、そこそこ「平和な学校生活」はおくることができたと思います。
それは「平和な家庭」ではないからこそ、せめて学校生活だけでも、自由に生きられる空間を確保したいと望んだから。空気を読んで、自分を客観視して、ところどころでおもしろさを発揮して。そうやって努力した賜物なのです。
その結果、得られた友人は、私のなかでは本当に財産。高校時代や大学時代、医者としての友人や先輩、後輩には定期的に会い、みんなの楽しそうな姿を確認して、自分を鼓舞させてもいるんです。
関係性を崩したくないがために、本音が言えない
いっぽうで、友人とのつき合い方、距離をとる難しさに直面することもあります。空気を読みすぎてしまう人間になった結果、どんなときも気を張って生きているから、1日が終わるともうグッタリ……そんなことも少なくありません。
学生でいるうちは、しょうがないとあきらめていました。学生でいる限りはコミュニテが狭いから人間関係を壊せないし、友だちとくっついたり離れたりというストレスを抱えるのも大変。そんな大変な思いをするくらいなら、自分が飲み込めるところはすべて飲み込んだほうがいい。嫌われないように生きていこう。そう思っていました。
関係が近ければ近いほどこわくなって、「これは言うべきか、言わないべきか」と空気を読んでしまいます。だから私は、じつは友人や周囲の親しい人とケンカしたことがないんですよ。ときどき誰かから「友だちとケンカした」なんていうエピソードを聞くと、「すごいな」と思いますね。
ケンカというのは自分の本音を相手にぶつけること。私には、それができないんです。じゃあ相手から否定的な言葉をぶつけられたとき、どうするかというと、「なんでこんなことを言うのかな」と思っても一度、家に持ち帰るんです。
それで友人が言った真意ってなんだったのか、と考えます。そもそもこの人はこういう人間で、バックグラウンドがこうだから、こういう発言になったんだ。じゃあ仕方ないな、とか、行動の裏づけを想像します。
とにかく、関係性を崩したくないからそうしてしまうんです。早まって思いを口にして、「どうしてそんなこと言うの」なんて言われると、気まずくなるじゃないですか。修復するのも大変だし。それだったら一度持ち帰って心のなかに飲み込めば、嫌われずにすむかなと思ったりして。