「カラフルデブ」――パンチが効いた名称は、脳神経外科専門医とファッションデザイナーという2つの肩書を持つ、Dr まあや氏の通り名だ。髪はピンクや青、黄色や緑のレインボーカラー、そして身を包むファッションもとにかく奇抜。一度見たら絶対に忘れられない容姿から、インターネットで人気に火がついた。以来、『アウト×デラックス』(フジテレビ系)や『人生が変わる深イイ話』(日本テレビ系)などバラエティ番組に引っ張りだこ。ここでは彼女の半生とポジティブ思考の秘訣を紹介する。本連載は、Dr まあや氏の著書『カラフルデブを生きる』(セブン&アイ出版 ※2020年に事業終了)から一部を抜粋した原稿です。

 

Dr まあや氏の幼少期は苛酷なものだった。両親の喧嘩が絶えず、家にはいつも母親の怒鳴り声が鳴り響く。そんな矢先、岩手から母方の祖母が上京。3歳ながら家庭への不満が噴出したDr まあや氏は「私を岩手に連れてって」と切実に頼む。そこからDr まあや氏の岩手でのサバイバル生活が始まった。

閉鎖的な田舎生活で見出した「学校」という希望

「とにかくお前は家庭環境が普通じゃないから、絶対にイジメられる。だから目立たないようにしてなさい。教室の隅で、コッソリ静かに生きていればいいんだよ」

 

祖母からは、小学校入学時からずっとそう言われていました。岩手の小さなコミュニティでは、シングルマザーでも陰口をたたかれるのに、両親ともいない私はどうなってしまうのか。それを危惧(きぐ)していたんでしょう。

 

祖母の世代は、世間体を非常に大切にするようです。私に対して祖母がそう言ったのは、私自身がかわいそうというのもあったと思うけれど、なにより、世間体を気にしていたのが最大の理由です。

 

そんなネガティブ思考漬けの環境のなかで、自分はどこでだったら自由に生きていけるのか?

 

「家庭ではなく、学校だ!」そう思いました。

 

だから学校でいかに楽しく過ごすか。それをつねに考えて、友人たちに嫌われないようにかなり努力していたと思います。それで学校では結局、「おもしろい人になればいいんだ!」という生き方にたどり着きました。

次ページ客観的な視点からの「おもしろさ」が処世術
カラフルデブを生きる

カラフルデブを生きる

Dr まあや

セブン&アイ出版

コンプレックスがあるからこそ、人は成長できる。挫折や劣等感が、たくましく生きていくバネになる。「デブ・ブサイク・ババア」だって、自覚してみたら意外と悪くない。どんなにネガティブ思考でも、目標を定めれば最高に楽し…

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