日本では同姓婚が認められていない以上・・・
外へ出た。コートに雪が付着する。横殴りの雪なので傘が役に立たない。タクシーを探した。いつもはすぐに目につくのだが、なかなか見当たらない。やっと1台が走ってきた。ツチヤ税理士は傘を高く掲げた。止まらずに走り去った。乗車中。続いて1台くる。今度は傘を振り回した。足がすべってバランスを崩した。傘を放り出して鞄を両手で抱え、路面に仰向けに倒れた。ノートパソコンは守らなくては。タクシーは止まらなかった。
地下鉄に変更しよう。路線を検索するため、スマートフォンをスーツの胸ポケットから取り出した。雪の影響をあまり受けないはずだ。
相談の内容は推測できた。地下鉄の西新宿駅方向に歩きながら、夏菜恋との1ヶ月前の会話を反芻した。
その日は、珍しく食欲がないようであった。
「体調が悪いのですか?」と尋ねると、
「あたしが亡くなったら、財産はどうなるの?」
と返してきた。夏菜恋の両親は、10数年前に相次いで亡くなっている。まだ60歳代の後半だった。
「残念ながら日本では、法律上、同性婚が認められていないのでパートナーに渡らないです。お兄さんがすべて受け取ることになります」
夏菜恋は、戸籍上独身になる。両親が他界している場合、唯一の肉親である兄しか相続人はいなかった。
パートナーに財産を残すには遺言書が必要
「そうなの。最近、日本でも同姓同士が結婚式を挙げたということがあったけど」
夏菜恋とその兄は仲が悪く、ここ最近は絶縁状態という話を聞いたことがあった。
「結婚式を挙げる自由はあるのですが、民法の規定は変わらないので、相続財産を受
け取る権利はありません」
「本当なの? それじゃ日本にいたら駄目だっていうことね。パリだと10分の1が同
性婚だと言われているのに。フランス国籍をとろうかな」
「法定相続人以外の人に財産を残すためには、遺言書が必要なのです。遺言書を書け
ば、夏菜さんのパートナーは、財産を受け取ることができます。遺言書を書きましょ
う」
遺贈という遺言によって特定の人に財産を与える方法があり、相続人以外も指定す
ることができる。
「遺言なんて縁起でもない。彼と正式に結婚してから死にたい」
「最近では、元気なうちに遺言を書く人、増えてきていますよ」
「終活ブームってやつね。どうせ税理士とか、銀行、保険、不動産屋さんがそれに乗っかって金儲けしようと企んでいることでしょ。この前も銀行の担当者がなんか言ってきたから怒鳴りつけてやったの。でもツチヤさんが言うのなら考えてみる。また連絡する」
依頼があったら、すぐに対応しようと思っていた。まさかパリに行っていたなんて。
仕事熱心とはいえ、無茶なことだ。地下鉄の入口が見えてきた。