公正証書遺言の作成完了・・・後は手術の成功を祈るのみ
「続いて証人の方も署名と押印をお願いいたします」という声に促され、吉沢可南子と橋本智子が署名と押印した。夏菜恋の自宅、目黒区駒場の不動産価値は土地だけで1億円を超えるであろう。それに株券やゴルフ会員権などを合わせると2億円を超える金額が藤堂隆に渡ることになる。
「こちら正本と謄本です。原本は公証役場に保管しておきます」
石井は公正証書遺言を吉沢可南子に渡した。公正証書遺言は、3通作成される。1通は公証役場に保管して、残りは遺言者に渡すことになっていた。
「ツチヤ税理士、遺言執行者としてなにか確認しておきたいことがありますか?」
「ありません」
今は夏菜恋の手術が成功してくれることを祈るだけだ。
「特に問題はないようなので、これで公正証書遺言の作成が完了しました。以後、不明点があれば、遺言執行者のツチヤに問い合わせてください」
石井が終了宣言を述べた。吉沢可南子が病室のドアを開けようとした。
遺言書の内容に賛成できない藤堂・・・
「ちょっと待ってください」
藤堂隆が立ち上がった。
「なんでしょうか」
石井は怪訝な表情を浮かべた。会議で賛成多数で決まった案に対して、希に質問を投げかける空気が読めない人がいる。そんな社員を目にしたような表情だ。
「この遺言の内容には、賛成できません」
「あんた、何を言い出すの? 預金を寄付するのが不満なの? 不動産や会社の株は好きに、好きにしていいのよ。会社は儲かっている。お金に換えるのは、面倒くさいかもしれないけど、ツチヤさんがちゃんと面倒をみてくれるから大丈夫」
「気持ちは凄くありがたいです。でも夏菜さんには、お兄さんがいるじゃないですか? お兄さんを差し置いて、財産を相続することなんてできないです」
「兄、あんな奴のこと口にするの」
夏菜恋はむせこんだ。
「あんな奴のことを想い出したら気分が悪くなってきた。あんた、あたしを殺したいの?」
「申し訳ありません。ですが、お兄さんにも財産を残すようにして欲しいのです。お願いします」
「もうすぐ手術の時間だ。今日は無理ですよ」
石井は苛立った感じで答えた。
「遺言書は、後から書き直すこともできますよ。夏菜さんが退院したら、改めて書き直せばよいのではないでしょうか?」
ツチヤ税理士は間に入った。
夏菜恋と藤堂の二人は、無言でうなずいた。