親族や相続人は公正証書遺言の証人になれない
雪は未明で止んだようだ。快晴、強い日差しがカーテン越しに差し込んでいる。今日は時間との闘いだ。夏菜恋の手術は、午後3時から行われることになっていた。その前の午後2時、公証人に病院へ来てもらい遺言を作成するのである。ツチヤ税理士は、公正証書遺言を作成するにあたって、必要なものをメモ用紙に書き出した。
《1》夏菜恋の実印と印鑑証明書(3ヶ月以内に発行されたもの)
《2》夏菜恋の彼の住民票
《3》夏菜恋の所有している不動産の登記簿謄本
《4》固定資産評価証明書
《5》預貯金の預け入れ先や口座番号などの財産目録
《6》公証人
《7》証人2名
用意できているものには、レ点をつけていった。兄にも財産を相続させる場合は、続柄がわかる戸籍謄本が必要になる。今回は全額、付き合っている彼に譲る意志があるようなので、それは不要であった。実印と印鑑証明書の有無は、昨夜、吉沢可南子に確認した。《3》と《4》も確定申告をする際に控えを貰ったので、大丈夫そうである。
証人として、夏菜恋の親族や相続人はなることができない。マネージャーの吉沢可南子とツチヤ税理士事務所で働いている橋本智子に頼むことにした。
問題は公証役場の職員に来て貰えるかどうか・・・
足りないのは、夏菜恋の彼の住民票だ。幸いなことに彼は、中央区の勝どきに住んでいるので、間に合いそうだ。問題は公証役場の職員に来て貰えるかどうかである。公証役場の職員は、身分的に公務員である。裁判官や検察官などの法曹関係の人が引退したあと、仕事に就くことが多かった。多忙ではなかったが、すぐに引き受けて貰えるか不安であった。昨日の大雪の影響で東京の交通機関は乱れている。天候を理由に断られる危惧があった。
通常は、遺言者本人が一度、公証役場を訪れ、このような遺言にしたいということを伝えた後で、証人を連れて公証役場に出向くという形をとる。それを今回は、ぶっつけ本番で行うのである。
最悪、公証人の都合がつかなければ、一般臨終遺言という方式しかないであろう。疾病により死期が迫っている人が行う遺言である。
昨夜のうちに以前、公正証書遺言を一緒に作成した公証人に依頼のメールを出しておいた。メールを書いたり、書類を確認したりしているうちに寝るのは夜中の2時を回ってしまった。
眠りに入ろうとすると救急車のサイレンが聞こえ、浅い眠りであった。メールを受信。依頼した公証人が承諾してくれた。ツチヤ税理士は胸をなでおろした。