高齢者は全員ではないが死を恐れていない
これも私が勤務していた老人ホームでの話です。
関西出身のおばあさんがいました。彼女は、長い間、ある有名な進学校で国語の先生をしていた人です。90歳をとうにすぎていましたが、頭もしっかりしていて、まだまだ現役で生徒に国語を教えることができそうな人でした。
そんな彼女には、大きな問題がありました。胸部に大きな大動脈瘤を抱えており、主治医の話によると、大きさから推察するといつ大動脈瘤が破裂してもおかしくない状態。もし、破裂した場合は大量の出血を伴い、早期に適切な手術が必要で、老人ホームにいたのでは手術を行なうことは無理でした。つまり、破裂したら確実に死にますよ、ということです。
そのすべてを知っている彼女は、主治医の助言を無視して老人ホームでの生活を継続していました。ある日のこと、介護職員の定期訪室時にベッドに寝ていました。声をかけてもまったく反応しません。まさかと思った介護職員は持っていたPHSで看護師を呼びます。すぐに血相を変えて看護師や介護職員が駆けつけてきました。そろそろ役者がそろったころにBさんはつぶっていた目の片方を開けて、「まだ、生きとるでェ」と言って笑ってみせます。趣味の悪い冗談はやめてほしいと、だまされた介護職員の怒りは収まりません。「心配して損したわ」「殺しても死ぬようなたまじゃない」などと言いながら居室を出ていきました。
それから1週間後、主治医の言ったとおり、彼女は大動脈瘤破裂による出血ショックで亡くなりました。異変に気がついた夜勤者の懸命な対応もむなしく、救急車が来た時はすでに瀕死の状態だったと言います。私は彼女が亡くなる3日前、夜勤時に小1時間ほど話をしたことがあります。
彼女はベッドで横になりながら、私に次のような話をしてくれました。「私はね、死ぬことがまったく怖くないの。早く、お父さんのところに行きたいと、心からそう思っているの。何も思い残すことはないわ。いい人生だった。お父さんも2年前にこの部屋で亡くなった。私もこのホームで死のうと決めているの。病院でなんかで死んでたまるもんですか。胸の爆弾がいつ爆発するかはわからないけど、爆発しても放っておいてくださいね。何もしなくていいから。私がここにいることで、皆さんに迷惑をかけることが心残り。ごめんなさいね」。そう言うと少し微笑んで目をつぶって寝てしまいました。
もちろん全員ではないと思いますが、高齢者は私たちほど死を恐れてはいません。したがって、「死」を感じさせない、連想させないという介護は間違っているかもしれません。いずれ確実に来るであろう「死」に対し準備をし、備えるための支援を、もっと介護職員は積極的にしなければならないと思っています。死は、けっして特別なことではありません。誰にでも訪れる人生最後のイベントです。老人ホームでも介護という仕事を通して「死」に対するサポートをもっと適切にできるようになればよい、と思います。