周囲の予想を裏切ったパリでの成功・・・
パリへ行ったのもその流れだった。日本で開催されるサッカーのワールドカップの直前、日本代表チームの宣伝という名目で、ハイレグ水着の上に代表のユニフォームのボディペイントをした夏菜恋がシャンゼリゼ通りを走らされるという無茶苦茶な企画であった。
その姿を見つけたフランスのテレビ局がインタビューしたことが始まりである。夏菜恋はフランス語が話せた。芸能界にデビューする前、渋谷のクラブで声をかけられたフランス人の男性と3年間、付き合っていたことがあったからだ。彼はフランス料理の店に働きにきているシェフで、英語も日本語もあまり話せなかったが、日本人にはない逞しい体に惹かれた。記憶力に優れていた夏菜恋は、たちまちフランス語を習得した。
フランス語を話せるだけでなく、機知に富んだ受け答えが現地のテレビ局スタッフを魅了し、その後もテレビ番組にゲストとして呼ばれるようになった。タイミングがよかった。数年前、大物漫才師が監督した映画がヴェネチア映画祭で大賞に輝いたため、日本文化に対する関心が強まっていた。
当時はスケジュールが詰まっていなかった。いくつか仕事のオファーがきたので、思い切って半年ほど仕事を休み、パリに住んでみることにした。
芸能事務所の社長は、強く反対しなかった。ただ「日本に戻ってくるときには仕事はないと思いなさい」と釘を刺された。事務所にとっては、夏菜恋などいくらでも代わりがいる存在だったのであろう。
そう、パリで受け入れられるなど誰しも想像しなかった。それどころか、夏菜恋がフランス語を話せること自体、誰も知らなかった。この業界は意外と縦社会で、昔ヤンチャをしてきた人間が多い場所である。余計な知識や教養はひけらかすと妬みやいじめに遭いやすいため、本能的にフランス語を話せることを隠していたのだった。
予想を裏切り、夏菜恋はパリで受け入れられた。やがて世界的な映画スターやミュージシャンだけが参加するようなパーティーにも招かれるようになった。その様子をある雑誌の記者が嗅ぎつけ、週刊誌に「パリの日記」を掲載したことにより、扱いが変わった。
いじられ、こづかれるだけのタレントから文化人タレントとしての地位を手にしたのだ。今でも鮮明に覚えている。結婚後、なぜかパリに居を構えていたアイドル出身の女優が、自分もパーティーに参加させて欲しいと頼み込んできたときの言葉を。
「昔からファンだったのですよ。あたし、プロデューサーや監督に夏菜さんは才能があると言い続けていたの」
何度かテレビ収録のため、一緒になったことがあったが、女優は夏菜恋の姿が視界に入るだけで、忌々しいというような素振りさえしていた。話しかけるなど、とんでもなかった。何を今さらと皮肉の一つでも返したくなったが、言葉を飲み込んで頼みを叶えてやった。
胸をよぎる「親孝行をしなかったこと」への後悔
「お客様!」日本人のCAが笑顔を浮かべながら、席に近づいてきた。シートベルトを締めるように促しにきたのであろう。
「お薬をお持ちしましょうか?」
1時間前にも具合は悪くないかと声をかけられた。冷や汗をかきながら胸を押さえていたからだ。食欲がなく、ほとんど出された機内食に手をつけなかった。
「自分で飲んだから、大丈夫よ」
この狭い空間がいけないのだ。立てば楽になるのかもしれない。1ヶ月前も寝ていたら、もの凄い胸の痛みに襲われた。このまま、死ぬかと思った。ダウンジャケットを羽織り、ベランダで冷気に当たったら、気分がよくなった。長年の睡眠不足と夜の付き合いによるダメージが蓄積されているのであろう。
夏菜恋は立ち上がった。視界が揺れた。通路がゆがんでいる。乗客の姿が陽炎のように揺らいだ。
「まだまだ、くたばる訳にはいかないの。今、自分が死んだら、彼に何も残すことができない。睡眠時間を削って、稼いだお金がすべてあいつのものになっちゃう」
脚を踏ん張ろうとしたが、力が入らなかった。マネージャーの吉沢可南子が立ち上がった。両親の顔が浮かんだ。二人とも実家が貧しかったため、中学校を卒業すると四国から大阪へ集団就職で出てきた。工場で知り合い結婚。2LDKの府営団地の抽選にあたり、懸命に働きながら夏菜恋を大学まで行かせてくれた。
「これからは女として生きていくので大学を辞める」
と宣言したとき、とても悲しそうな顔をしていた。なじられもせず、大学を卒業する気はないのかとつぶやいた。成績がよかったので二人の自慢の息子だった。大阪にある名門私立大学に合格したことをとても喜んでくれたのに、期待を裏切ってしまった。今だったら、もっと親孝行できたであろう。
「お医者さんの方、いらっしゃいませんか?」
「AEDだ」
「AEDを持ってきて」
遠くで誰かが叫んでいる。両親の顔が兄に差し替わった。床がゆっくりと近づいてきた。
「あたし、やるべきことやっていない!」