下町の風情残す街に中国人など、外国人が急増
「亀戸」は東京都江東区の北部に位置する、JR中央・総武線各駅停車と東武鉄道亀戸線の駅。JR駅の1日の乗車数は5.7万人、東武鉄道駅の乗降数は2.1万人ほどです。
亀戸という地名の初出は古事記とされています。普通に読めば「かめど」という地名を、なぜ「かめいど」と読むのでしょうか。その理由は、かつての亀戸村の鎮守、香取神社に伝わる話から紐解くことができます。
この地が海に浮かぶ島だったころ、その島が亀の形に似ていたことから「亀島」と、そして周囲に土砂が堆積し、陸続きになった頃には「亀村」と呼ばれるようになりました。さらにその村にあった「亀ヶ井」という井戸の名前と混同し、村は「亀井戸」といわれていた時期もあったとか。いつしか井の字が抜け、現在の亀戸になったというのです。
江戸時代、亀戸は庶民の行楽地として知られていました。その中心だったのが、1662年創建の「亀戸天神社」。菅原道真の末裔、菅原大鳥居信祐公が、すべてを大宰府にならって造営した神社です。学問の神様として有名だったほか、四季を通して梅や藤などの花が楽しめるスポットでした。
また亀戸には、日立製作所や第二精工舎(後のセイコー電子工業。現・セイコーインスツル)などの企業が工場を構えて、日本の成長を支えていた時期もありました。高度成長期後、工場は広い敷地を求めて郊外へ移転。日立製作所の工場跡地は「亀戸中央公園」に、セイコーインスツルの工場跡地は、商業施設「サンストリート亀戸」を経て、現在、タワーマンションを含む複合施設の建設が進んでいます。
現在の亀戸は、 隣の「錦糸町」と合わせて「錦糸町・亀戸副都心」として東京都から副都心指定を受けています。各企業のオフィスも存在し、オフィス街としての機能も。駅ビルは「亀戸エルナード」から「アトレ亀戸」へと変わり、アトレブランドにふさわしいテナントが揃ったファッションビルへとリニューアルしました。
しかし駅の周辺は、良い意味で昔のまま。「亀戸十三間通り商店街」や「亀戸五丁目中央通り商店街」などの商店街には精肉店や青果店、鮮魚店などの個店も多く、リーズナブルなのは下町の商店街ならでは。飲食店も多く、高度成長を支える人たちの憩いの場であった雰囲気も当時のままです。
工場の跡地は公園や商業施設になるなど変貌を遂げる一方で、昔の下町らしい風情を残していた亀戸。しかし、そんな街にある変化が起きているとか。それは街のチャイナタウン化です。
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