大統領令発令「TikTok」「WeChat」使用禁止へ
■米中覇権争いの舞台…対米外国投資委員会(CFIUS)
8月6日、トランプ大統領は、「TikTok」と「WeChat」を米国居住者が使用することを禁止する大統領令に署名した。大統領令の効力は45日後に発効する。発令した理由として、米国国民の個人情報が中国政府により収集されることで、国家安全保障上の脅威となるリスクを挙げている。
これより先に、対米外国投資委員会(CFIUS)はバイトダンス社に対して、米マイクロソフトへのTikTok事業の売却交渉期限として9月15日までの猶予を許可している。理由は、大統領令と同じく、中国の親会社の監督下でTikTokサービスが扱う個人データに関して安全性が疑われることだった。
CFIUSは、米国企業の株式などを外国企業や投資家が取得・支配する取引について調査・規制する省庁横断の委員会である(所管は財務省)。つまり外国企業による企業合併や買収などの取引を調査し、国家の安全保障を守る米国連邦政府の委員会である。
立法規定では、CFIUSは政府に対し、国家安全保障や国益を脅かす企業に対して、リスク低減措置を要求するために、広範な権限を与えている。委員会の構成も豪華な顔ぶれで、財務省や司法省、国土安全保障省、商務省、国防総省、国務省、エネルギー省の長官、そして米国貿易代表部、ホワイトハウスの科学技術政策局長と9つの連邦政府機関のトップが委員となり、財務長官が委員長に就く。
世界中の企業が事業の国際化や広範なパートナーシップの構築を目指して、企業間のM&Aが国際的に急速に増加するなか、米国が被買収対象となる取引も大きな伸びを示してきた。リーマンショック後は、特に中国企業や投資家が関わる案件数が急速に増加している。そうした環境のなか、中国企業が関連する取引も増加してきた。
CFIUSに持ち込まれる案件にも、中国企業が関連する案件は増加傾向を強めている。2013年から2015年の3年間で、CFIUSが関与した案件は387件だったが、うち2割の案件が中国企業関連になった。特にテクノロジー分野での買収に対する中国企業の関与は目立っており、米国政府の懸念を増大させてきたことは述べるまでもないだろう。
CFIUSが関心を集めた案件に、アントファイナンシャル社によるMoneyGramの買収がある。最終的にCFIUSはこの取引を断念させた。アントファイナンシャル社は、アリババ社の創業者であるジャック・マー氏をはじめアリババ社幹部たちが投資する企業で、アリババ社との密接な関係があるとされている企業である。
米ツイッター社がTikTok買収の意欲を見せるも…
■マイクロソフト社が狙うTikTok買収に、ツイッター社も参戦?
今回のTikTokの案件も、従来のようにCFIUSが舞台となり、ことが進むと考えられてきた。8月2日に、米マイクロソフト社は、バイトダンス社とTikTokの米国事業買収に向けて交渉を続けると発表し、買収の意向を初めて公表した。公表の背景には、CFIUSの監督の下で買収を粛々と進めたいマイクロソフト社とトランプ政権の思惑があり、前述の通りCFIUSはバイトダンス社に対してTikTok事業の売却について9月15日までの猶予を許可したのである。つまり、数日前までは、トランプ大統領は安全保障上の懸念からTikTokアプリの禁止も視野に入れていたものの、強硬策は回避すると見られていたのだ。
マイクロソフトとバイトダンス社の交渉は、数週間にわたっており、当初の目論見より長引いていたことは事実だろう。マイクロソフト側がTikTokの北米、オーストラリア、ニュージーランドの事業資産の買収に加えて、インドや欧州での事業を買収することも含めたことも、時間を要した理由だったのかもしれない。TikTok事業の価値は500億ドル超とも一部で言われ、高額になることも関係しているだろう。
8日には、米ツイッター社もTikTokサービスを買収する意欲があり、バイトダンス社と初期の交渉を行っていることが報道された。一部では、ツイッター社はマイクロソフト社などに比べて事業規模が小さいため、TikTok事業の買収で、独占禁止法上、厳しい調査を受けないだろうとの観測もある。マイクロソフト社の買収ですんなり決まるかどうかは予断を許さない。
対立激化によりテクノロジー産業分断の可能性
政治の動きで見れば、中国を仮想敵と想定した国家安全保障上の懸念は、米国議会では党派を問わない。11月の大統領選が近づいているが、共和党・民主党ともに、覇権を争う中国を叩く方向性はプラスに作用すると考えているようである。トランプ大統領が大統領令に署名した8月6日、米国議会上院では、政府職員が持つデバイスへのTikTokアプリのダウンロードを禁止とする法案を可決した。民主党が多数を占める下院でも可決される見通しである。
様々な分野で覇権を争うことになる中国に対して、攻撃的な姿勢がエスカレートしかねない点には注意が必要だろう。特に、今後の基幹産業の一つともいえるテクノロジー産業で相手を抑えるには、あらゆることをすべきという論調も気になるところである。トランプ大統領が署名した大統領令の発効は45日後だが、本格的なテクノロジー産業の分断の始まりとなるかもしれない。そして、急速に世界に普及・拡大したインターネットは、2大陣営によって、分断されてしまうかもしれない。
米政権の動きが他国に影響を及ぼし始めている点も気がかりである。インドはTikTokやWeChatを含む数十のモバイルアプリを禁止した。オーストラリアと日本でも同様に、中国企業の息のかかるアプリの規制が検討されている。こうした動きがテクノロジー産業の分断を招くと、高い成長が期待されてきた企業群の未来にも影響があるかもしれず、心配のタネになりかねない。
香港政府は米国に強く反発も中国は冷静な対応を続ける
■香港行政長官も制裁の対象に
ムニューシン財務長官は7日、米国は香港の人々と立場をともにするとの声明を発表し、香港の自治を損なう行為をする者として、中国の政府高官や林鄭月娥(キャリー・ラム)香港行政長官を含む11人に対し、米国内に保有する不動産や資産を凍結する制裁を科すと発表した。
香港政府は米国に対して、香港国家安全法を巡って米国は政治的な操作をする意図やダブルスタンダードを適用する矛盾があると反論した。また、香港への関与は中国への内政干渉であり、国際関係の基本的な規範に著しく反するとコメントした。
今回の制裁には、実効的な利益・不利益は小さく、あくまでも外交カードの一つに過ぎないし、香港問題が米中関係の緊張をこれ以上高める材料にはならないと考える。立法会選挙の実施を1年延期させるなど、やや荒っぽい措置も目につくなかでは、米国の動きは致し方ないものだろう。
■中国政府は冷静に対応
一方で中国政府は、引き続き冷静な対応に終始しているように見える。中国の外交トップである楊潔篪(ヤン・チエチー)中国共産党中央政治局委員は7日、「歴史を尊重し、未来を指向することで、中米関係を揺るぎないものとして維持し、安定させる」と題した署名入り文章を発表した。
新華社通信の報道によれば、米中関係(原文は中米関係)は、世界で最も重要な二国間関係であり、両国関係の維持と安定は、両国民と世界各国の人民の幸福だけでなく、世界の平和や発展に関係していると述べた上で、トランプ政権発足後も、相互尊重と協力、ウィンウィンの新しい大国関係の構築で合意し、協調・協力・安定を基調とする中米関係をともに推進することで一致してきたと持ち上げた。そして、米国のごくわずかな政治家が私利私欲のために両国関係を危険な状況に追い込むことを許してはならないと、冷静な対応を呼びかけた。
また、国の発展と素晴らしい生活を求める中国人民の正当な権利は尊重されるべきだとして、暗に、TikTok事業を強制的に売却させるような圧力や、中国企業の発展を阻害するような行為を戒めた。
残念ながら、大統領選までは米中関係の改善は望み薄であろう。市場は、米中関係の緊張が高まるとの懸念が引き続きワイルドカードであるとの認識を持つのではないだろうか。
長谷川 建一
Nippon Wealth Limited, a Restricted Licence Bank(NWB/日本ウェルス) CIO