どこの街に住むかの選択は、仕事やプライベートに大きな影響を与える。さらに家賃が家計支出の大きなウェイトを占めることを考えると、居住地は資産形成までも左右するといえる。総合的に考えて住みやすい街はどこなのだろうか? 20代後半から30代前半の単身会社員の住み心地を考えていこう。今回取り上げるのは、JR埼京線の「戸田」。

市民悲願の埼京線完成で、若者に選ばれる街へ

「戸田」は埼玉県戸田市に位置する、JRは埼京線の駅。1日の乗車数は2.1万人ほどです。

 

戸田市は、荒川を隔てて東京都板橋区と北区に相対します。平安時代後期から室町時代にかけて、武蔵国を中心に勢力をのばした武蔵七党に戸田氏がいました。この武将が戸田の地名の由来か?と考えるところですが、どちらかといえば武将の名前のほうが地名から採っているケースが多いため、異論は多いです。少なくとも江戸時代に入る前には戸田という地名があったとされていますが、その成り立ちははっきりとわかっていません。

 

江戸時代には将軍家の鷹場として栄えましたが、一方で、荒川を渡る「戸田の渡し」は、中山道の江戸へ入る最後の関門として知られ、1875年に戸田橋が完成するまで渡しは続いていました。

 

戸田市が誕生したのは1966年のこと。高度成長期のなか、東京と地方をつなぐ要所としての役割を果たすようになります。1963年、大宮バイパスの笹目橋、1977年には新笹目橋、1978年新戸田橋上り線と、荒川を超える道路網が拡大していきます。物流の要として、市内には次々と倉庫が建ち、「倉庫の街」というイメージも定着していきました。

 

道路網が充実していくのに対し、戸田市には長らく都内に向かう鉄道網がありませんでした。当時の国鉄に対し鉄道網の整備を要求し続けた結果、1985年、念願の埼京線が開通。「戸田」駅もこのとき誕生します。

 

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そんな戸田といえば、長らく競艇のイメージが強い街でした。戸田公園にある戸田ボートレース場は、もともと、幻の五輪といわれている、1940年の東京オリンピックのために整備されたものでした。1964年の東京オリンピックではボート競技の競技会場となり、いまなお、ギャンブラーを熱くさせるボートファンの聖地です。

 

戸田=競艇のイメージがあまりにも強かったせいか、お世辞にも戸田は好感度の高い街とは言い難いものがありました。

 

しかし埼京線の開通により、徐々にイメージは変化。荒川を渡れば東京という立地が特に若年層に支持され、近年は、大規模なマンションが次々と誕生。街はまだまだ成長過程にあるといった雰囲気です。実際、戸田市の平均年齢は埼玉県のなかでも一番若い41.1歳(2位は和光市で41.6歳。2020年埼玉県発表による)。埼玉県で最も勢いのある街といえるかもしれません。

 

戸田をイメージといえば…(競艇場へは、「戸田公園」駅より徒歩約30分)
戸田をイメージといえば…(競艇場へは「戸田公園」駅より徒歩約30分)

 

 

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