退職金2億円を手にした父。投資を始めるも損が増え…
父も若い頃から株をやっていたようで、家には会社四季報やチャートブックなど、株に関する書籍がずらりと本棚に並んでいました。
父は祖父の鉄工所で働いていました。1960年ごろ鉄工所が倒産の危機に瀕したことがあり、父もだいぶ窮地に追い込まれたそうです。この時は「もう株だけで食べていくか」と心に決めたほどだったそうですが、幸いなことに、川崎に保有していた5000平米の土地が高騰し、難を逃れることができました。
バブルの絶頂期の1989年に鉄工所の土地を売却し、父は退職金として2億円の資金を手にしました。それを元に、本格的に株式投資へのめり込んでいったのです。
■「含み損」を抱えたままでは絶対に損をする
父の投資方法はいわゆる「逆張り」でした。株価が下落してきた銘柄を買い、1割上がったら売却する。これを繰り返し小さな利益を積み重ねていく手法です。1株500円に満たない低位株で多く取引していました。
1990年代の低位株は、バブルの弾けたあとで倒産する会社も多く、父の握っていた株券のいくつかは紙屑となってしまうものもありました。東洋製鋼、日本重化学工業、池貝といった会社です。
現物取引ばかりしていた父ですが、2000年に入るとリスクの大きい信用取引も始めました。みずほフィナンシャルグループの株をたくさん保有していたところ、2003年にかけて大きく下落していき、その過程で大きな損を生み出していました。
2004年ごろからはネット証券で取引をスタート。株式市場が開いている時間はパソコンに張り付きっぱなしの、立派なデイトレーダーへと転身していました。
しかし株にのめり込んでいく時間に反比例するように、父の資産は減っていきました。それでもなお、父は株式投資を続けていました。その執念はいわば趣味であり、ライフワークのようなものだったのでしょう。父も生粋の株オタクでした。
銘柄ごとに日々の株価を書き留め、そこに何か規則性を見つけることに熱中していました。食事中に突然「あ、規則性を思いついた」とひらめいては、ノートに何か記入していました。
私は何度か「頼むから信用取引だけはやめてくれ」と頼みましたが、父は頑なに拒み、信用取引をやり続けたのです。