再開発でスッキリするも、人気の街に隠れて影が薄い
「溝の口」は川崎市高津区に位置する、東急電鉄田園都市線の駅です。東急大井町線も乗り入れているほか、JR南武線「武蔵溝ノ口」駅とも隣接し、乗換駅になっています。1日の乗降客数は20万人ほど。ちなみにJR「武蔵溝ノ口」駅の1日の乗車人数は8.5万人ほどです。
駅名では「溝の口」「溝ノ口」と表記されていますが、住所での表記は「溝口」です。その由来ははっきりしていませんが、「ミゾ」は丘に刻まれた小さな谷を指し、付近を流れる「平瀬川」が織りなす小さな谷を表していると考えられます。その川が多摩川の低地に出ることから「ミゾの口」と呼ばれるようになった、という説が有力です。ちなみに「溝口」と表記する駅は、兵庫県のJR播但線にあります(ただし読み方は「ミゾグチ」)。
江戸時代、厚木方面からの物資の中継点として発展。地の利を活かし、醤油製造で栄えたそうです。昭和初期に南武鉄道(現在の南武線)が開業すると、「武蔵溝ノ口」駅が開業。同じころ、玉川電気鉄道溝ノ口線(現在の東急田園都市線)が開業すると「溝ノ口」駅が設置されました(「溝の口」と改称されたのは1966年)。旧市街地は、隣駅の「高津」駅寄りにありましたが、徐々に駅付近に商店や官公庁が集積するようになりました。
南武線沿線に、日本を代表する大企業の工場が多数立地するようになると、通勤に便利なことから、住宅地としても発展します。しかし無秩序に開発されていったため、道路網が脆弱で、建物も老朽化。以前の「溝の口」しか知らない人は、「古い」「暗い」「ごちゃごちゃしてる」「治安が悪い」というイメージをもっているでしょう。
なかなか進まなかった再開発ですが、1997年、駅北口の再開発の一環で誕生した商業施設「ノクティプラザ」と駅をつなぐペデストリアンデッキが完成。駐輪場も整備され、自転車であふれかえっていた駅前も以前よりはスッキリとしました。一方で、「溝の口西口商店街」には、大衆酒場など昭和情緒溢れる一角が残っているのも、この街の魅力です。
しかし、多摩川を渡れば「二子玉川」駅、南武線で川崎方面に行けば「武蔵小杉」と、何かと話題になる街が近く、「溝の口」の影が薄くなるばかり。これらの街が上位に上がる恒例のランキングでは、「溝の口」は100位以下が定位置になっています。しかし街の利便性は高く、「ランクインしないほうが不思議」という声も。そのため「穴場の街」として紹介されることも多く、「住んでみたら非常に便利」と、住民の満足度は高いようです。
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