いまや「ファミリーに人気の街」の昔の顔
「南千住」駅は東京都荒川区に位置する、JR常磐線(快速)と東京メトロ日比谷線、首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス線の接続駅です。1日の乗車人数はJR駅で1.7万人ほど、乗降客数は東京メトロ駅で3.1万人ほど、首都圏新都市鉄道駅で5.5千人ほどです。
人気の高いお隣「北千住」に比べて知名度の劣る「南千住」ですが、いくつか世間を賑わすトピックスがあります。ひとつが「奥の細道の出発地論争」です。
『奥の細道』によると、1689年3月27日、江戸・深川から隅田川を船で北上し、「千住といふ所にて」船を下りて、「行春や 鳥啼魚の 目は泪(ゆくはるや とりなきうおの めはなみだ)」と詠んだとされています。しかし川を下りたのが、足立区側の千住大橋近辺か、荒川区側の南千住近辺か、記述はないのです。足立区も、荒川区も、「我こそは松尾芭蕉が旅立った地」として譲らず、結論は出ていません。ちなみに「南千住」の駅前広場には、芭蕉の銅像が建立されています。
もう1つのトピックスが、「東京随一の心霊スポットである」ということです。日光街道の宿場町である千住宿を起源とする南千住ですが、江戸時代から明治初期には「小塚原刑場」という処刑場(仕置場)があり、20万人余の罪人がここで刑を執行されました。「小塚原刑場」で処刑された人々は、現在の「南千住回向院」に埋葬されたとか。
また1822年、南部藩(盛岡藩)の藩士である相馬大作が「相馬大作事件」を起こし処刑されてからは、国家を揺るがす重大犯罪を犯した人物が処刑される場となりました。安政の大獄の際に首謀者と目された吉田松陰や橋本左内などは、処刑自体は別の場所で行われましたが、遺体は一時、この地に埋葬されたそうです。そんな歴史もあることから、「小塚原刑場跡地」はちょっとした心霊スポットとして紹介されています。
たとえば「首切り地蔵」。1741年に、この地で処刑された人の菩提を弔うために作られたもので、その名前から、さぞかし恐ろしい地蔵を想像するでしょう。実際は、サイズも大きく、非常に穏やかな表情をしている地蔵です。また人通りも多いので、実際は心霊スポットと呼ばれるほどの怖さはないようです。
そんな南千住ですが、明治以降、隅田川の水運と鉄道貨物基地を起点とする陸運が接続する要所、大規模場工場が建つ工業地帯として発展。駅南側は木賃宿が立ち並ぶ労務者の街として知られ、現在も少なからず、簡易宿泊所が点在しています。
しかし近年、駅東側の工場跡地や旧国鉄用地など、50ha弱の広大な敷地を利用した再開発で、街の様相は一変。3棟のタワーマンションからなる「リバーハープスクエア」をはじめ、20~30階建ての超高層マンションが林立し、「LaLaテラス南千住」などの複合商業施設や「東京都立汐入公園」なども整備され、美しく区画された街が誕生しました。
一方で、駅西側でも再開発が行われ、駅前にはタワーマンションが建てられましたが、南千住商店街(通称コツ通り商店街)、仲通り商店街、南千住商友会と、個人商店が中心の商店街が残っています。惣菜や焼き鳥、揚げ物など、食卓を彩ってくれる店も多く、昔ながらの飲食店も点在しています。価格もリーズナブルで庶民派の店が揃っているのが魅力です。
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