渋谷、歌舞伎町…色々な名称がつく「町田」
「町田」駅は、東京都町田市にある、小田急小田原線とJR横浜線の接続駅です。小田急線駅の1日の乗降客数は約29万人、JR駅の乗車数は約11万人と、多摩地域最大の駅です。
町田といえば、いくつかの定番ネタがあります。まず「町田は神奈川か!?」という話題です。地図を見ればわかるとおり、町田のある部分だけ、ポコンと神奈川に張り出しています。実際、東京を西へ西へと走る小田急小田原線は、多摩川を渡り神奈川県に入りますが、「鶴川」駅で再び、東京都町田市になります。「いっそ神奈川のほうがスッキリする」といわれるのは、そのためです。
実際、明治時代初頭は、町田のほか、八王子や立川、武蔵野、三鷹など、広範囲に渡る、いわゆる三多摩地域は神奈川県でした。その三多摩地域が東京に移管されたのは、1892年。最大の理由は、東京に水を共有する玉川上水が神奈川を通ることから、水源の管理上で不都合が生じたことです。また町田で盛んだった自由民権運動の封じ込めといった政治問題も絡み、今から130年ほど前に町田=東京になりました。
しかし、2020年12月、町田の一部が神奈川県になると話題になりました。町田市とお隣の相模原市の境界である境川は、以前は蛇行していましたが、洪水対策で流路変更。しかし境界は昔のままになっていました。結果、町田市と相模原市が入り組む状態となり、ゴミの収集や小学校の学区など、住民に不便が生じていたのです。この状況を打破しようと、両市は幾度も境界を変更。そして2020年12月には、町田市の一部が相模原市へと帰属変更する予定になっています。
さらに町田は、「西の渋谷」とか「西の歌舞伎町」といわれることがあります。
「渋谷」といわれたのは90年代後半、高校生ブームが起きていたころ。渋谷で人気の商業施設やブランドが町田でも展開され、「小さな渋谷」のような様相を呈していたから、メディアを中心に「西の渋谷」と紹介されるようになりました。
「歌舞伎町」といわれたのは、2000年代初頭、歌舞伎町の浄化作戦が行われた際、取り締まりを嫌った風俗店が町田に移転。犯罪率が増加し「小さな歌舞伎町」のような様相を呈していたことから、「西の歌舞伎町」と称されるようになりました。その後、条例の強化や地域住民のパトロールなどにより、治安は改善されたといわれています。
そんな「町田」駅周辺は、多摩地域随一の繁華街を形成。「町田東急ツインズ」や「レミィ町田」、小田急「町田」駅と一体となった「小田急百貨店町田店」、「ルミネ町田店」、「町田マルイ」など、大きの百貨店やファッションビルが林立するほか、「ヨドバシカメラ マルチメディア町田」や「ドン・キホーテ町田駅前店」など大型店が集積しています。
多くの買い物客でにぎわうなか、異彩を放っているのが「町田仲見世商店街」。全長100mほどの狭い路地におよそ40軒が集まる横丁的商店街で、昭和レトロな雰囲気で観光客にも人気です。
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